無線LANに託された壮大な夢と未来モバイルワーク温故知新(2/5 ページ)

» 2012年08月21日 08時00分 公開
[池田冬彦,ITmedia]

無線インターネットと公衆無線LANの誕生

 事実上最初の無線LANとなったIEEE 802.11b製品の普及とともに、この無線LANの仕組みを利用したインターネット接続サービスも登場した。それが1999年に東京電力、ソフトバンク、マイクロソフト(現日本マイクロソフト)が共同で設立した「スピードネット」だ。スピードネットは、加入者宅のそばの電柱に親機を設置し、加入者宅内に受信装置を設置してIEEE 802.11bによるインターネット接続を提供するものだった。

 スピードネットは2000年8月から埼玉県浦和、大宮、与野の各市(現さいたま市)で試験サービスを開始し、2001年に本サービスを開始した。最大通信速度は1.5Mbps(理論値)と低速であったが、料金は月額4350円と、当時としては安価なサービスだった。しかし、当時のブロードバンドはADSLによる固定ブロードバンドが主力で、さまざまな事業者がサービスを大々的に展開した。また、利用できるエリアも限られていたため、スピードネットの利用者は伸びず、2006年にサービスを終了した。

基地局室内設備 スピードネットの基地局(左)と室内設備 ※写真は実証実験のもの

 一方、2001年6月には日本初の公衆無線LANサービスの草分けとも言える「街角無線インターネット」サービスの実証実験が東京・世田谷区の三軒茶屋付近で開始された。このサービスは、世界初の個人向けFTTHサービスを開始した有線ブロードネットワークス(現USEN)とルートテクノロジー、ラウンドキューブの3社が設立した「モバイルインターネットサービス(MIS)」によるものだ。

 街角無線インターネットのコンセプトは、街中で移動中にインターネットが利用できるようにするという「面」展開の発想であり、カフェやファストフード店などの「スポット」を展開しようとする公衆無線LANサービスのコンセプトとはやや異なる。しかし、屋外で無線LANによるインターネット回線を提供するという意味では、これが「元祖」公衆無線LANと言えるだろう。

 しかし、街角無線インターネットを利用するにはWindows向けの専用無線LANカードとドライバが必要だった。サービス自体は「IEEE 802.11b」をベースにしているが、独自のユーザー認証機能と基地局から基地局へスムーズに切り替えられるハンドオーバー機能が独自に追加されていた。このため、ドライバソフトや専用接続ソフトのインストールや設定などが必要で、取り扱いが面倒だった。

 当時としては非常に画期的なサービスであったが、このサービスの成功を疑問視する声もあった。まず、想定されている「移動しながらインターネットを利用する」が本当に必要なのかということだ。PDA端末の利用も想定されていたが、当初はWindows PCでしか利用できず、「ノートPCを広げて街を歩き回る」という利用シーンには少々無理が感じられた。

アンテナ 街角無線インターネットのアンテナ。写真のロッドタイプの他、平面タイプのアンテナもあった

 また、1カ所に付き20万円程度という基地局をPHS基地局のように方々に設置し、サービスエリアを広げることにも限界があった。少しでも電波の死角が発生すれば接続が切れてしまうし、IEEE 802.11bの電波を良好に受信できるのは基地局から数10メートルの範囲だ。建物の壁や電力会社やNTTが所有する無数の電柱などにアンテナを設置していくのは大変なことであり、そのような事業が本当に成功するのかという声もあった。

 MISは数々の実証実験を行った後、2002年3月に「Genuine」というサービス名で商用化し、月額2400円で提供することを発表した。しかし、懸念された通りに屋外のサービスエリアは東京都千代田区など8区の主要地域のみに限られ、サービスの「面展開」の難しさが浮き彫りになった。その後もエリアは思うように広がらないまま2002年12月にサービスの休止を発表。実質的にサービスを終えた。

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