新米パパは、苦境のプロジェクトを救う“レスキュー隊”――加藤真規さん「プロジェクトマネジャー」の極意(2)(1/3 ページ)

迫り来る納期、増えるプロジェクトメンバー……なのに課題は山積み。そんな苦境に陥ったプロジェクト、皆さんの身に覚えはないだろうか。今回紹介するのは、厳しい局面に正面から突っ込み、確実に消火活動を行う“プロジェクトレスキュー”のプロだ。

» 2015年11月16日 08時00分 公開
[池田憲弘ITmedia]

 「申し訳ない。例のプロジェクトを1カ月で立て直してくれるかな?」

 そもそも無理なスケジュール、作業も膨らみ、メンバーのモチベーションも上がらない――。もちろん、こんなことは起こらないに越したことはないが、システム開発のプロジェクトにおいては、こうした状況に陥ってしまうこともある。そんなときにプロジェクトの立て直しに向かう、いわば“火消し人”のような人がいる。IBMでプロジェクトマネジャーとして働く加藤真規さんもその一人だ。

 「多分、精神的にタフだと思われているんでしょうね。別にトラブルだからと言って、特別なことをするわけではないんですけれど」。こう、クールに話す加藤さんは、困難な状況に陥ったプロジェクトをどのように正常な状態に戻していくのだろうか。

「IBMらしくない」初仕事

photo 日本IBMに勤める加藤真規さん。現在は規制緩和により、電力業界へ新たに参入しようとする企業のシステム開発を行う部署のマネジャーを務めている

 加藤さんが日本IBMに入社したのは2003年のこと。学生時代はレーザー光線の波長について研究していたが、大学院には進まず、就職する道を選んだという。「面白そうだと思って研究室に入ったんですが、光の色を見るので研究室が真っ暗だったんですよ。一日の大半を暗室で過ごすことが性に合いませんでした」(加藤さん)

 さまざまな企業を受ける中で「モノ作り」に興味を持つようになり、システムエンジニア(SE)職でIBMに入社。IT業界ということもあり、スマートに仕事をしているイメージを抱いていたが、配属初日に任された仕事で、その考えは吹き飛んだ。

 「ビデオテープに貼ったバーコードを読み取り、記録された番組のタイトルを識別するシステムを作っていたのですが、『バーコードが何度まで傾いても認識できるか確かめたいから、測って調べてくれ』と上司に分度器を渡されまして。IBMらしくないというか、こんな地味な仕事もやるのかと驚きました」(加藤さん)

入社2年目の“チームリーダー”誕生

 そんな加藤さんに転機が訪れたのは社会人2年目のこと。進行中のプロジェクトにクライアントからクレームが入り、体制変更を行った際に開発のサブチームをまとめる立場になったという。

 「Javaのアプリを開発するチームだったのですが、新人のコンサルタント中心のチームで誰も本格的な開発をしたことがなかったので、本当に大変でしたね。プロジェクトを通じて、システムは“人が作るもの”なのだと実感しました。作業の交通整理を行ったり、週単位で目標を示したり……。メンバーのモチベーションを保つためにはどうするか、当時の同期とよく相談し合っていましたね」(加藤さん)

 帰れない日々が続いたこともあったが、自ら手を動かしてシステムを作る経験ができたのは大きかったと加藤さんは振り返る。その後、SEやチームリーダー、サブのプロジェクトマネジャーなど、さまざまなプロジェクトを経験し、30歳を過ぎたころに初めてプロジェクトマネジャーになったが、その直前に大きな失敗をしている。

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