あんなにいい雰囲気の職場が生まれた理由を、いくつか考えてみると、今の多くの日本企業とは、ずいぶん違いがあるようだ。
50人くらいのバイトに対して、社員は2人。店を開けるのも、閉めるのも、売り上げを入金するのも、全部バイトだった。新人を育成するのもバイト、育成のカリュラムを考えるのもバイト。クレームに対応するのもバイトだった。
とにかく社員が少ないから、「アレやれ、コレやれ」なんて言われない。マイクロマネジメントなんてできない。だから、みんな自主的に、好き勝手なことをやっていた。
発案したことを否定されることもまずない。「やってみたら?」と。そもそも何かをやるのに許可をもらった記憶さえほとんどない。特に時間外の活動は、全くの放置状態だった。
でも、普通の会社はそうじゃない。細かく行動を管理しようとする。
ミスした理由を問いただしたり、叱責(しっせき)したりする文化はなかった。
ミスはよくあった。テイクアウトで商品を入れ忘れてしまうケースがよくあった……。
でも誰も叱責しない。フォローし、一緒に再発防止を考える。なぜそうなったのかはよく分からない。でも、叱責しなくても、追求しなくても、ミスしたことは自覚できた。みんながフォローしてくれるから、余計に響いた。「あ、俺、イケてなかたったな……。みんなに迷惑かけちまった。クソ」という感覚があった。
だから、自発的に「成長しよう、能力を上げよう」と思えた。外からプレッシャーをかけられなくても、自分でプレッシャーをかけていたのだ(横田さんが、まさに、この話をしていた)。これは、うまく言えないが、健全な成長をもたらしていた気がする。
でも、多くの企業はそうじゃない。叱責と追求が日常の会社も多い。叱責で人は成長するのだろうか? 自分で気付いて努力する方が楽しいし、伸びるんじゃないか。
シフトの時間も、タスクも選べた。ポテトが好きなやつは、ポテトを中心に仕事をすることもできた。昼のピーク時のお祭り騒ぎが好きなやつも、アイドルタイムののんびりした雰囲気が好きなやつも、自分で選べた。
苦手な仕事は積極的にやらなくてもよかった。他に得意なやつがいれば任せて、もっとパフォーマンスが出せるところ、楽しいところで仕事をすればよかった。
一方で、もっと難易度の高い仕事がしたければ、スキルさえ身に付ければやらせてもらえる。だから、仕事がつまらないなら、自分で楽しいと思える仕事にチャレンジすればよかった。僕は実際、クロージングの仕事がしたくて、先輩にトレーニングしてもらった。
強制的にやらされる仕事や、それしかやっちゃダメ、といった状況はほとんどなかった。
普通の会社は、仕事が与えられ、苦手だろうが嫌いだろうがやるしかない。
マックでは、一通り仕事を覚えて、最低限の仕事をこなせるようにはしておくけど、後は好きな領域で貢献すればよかった。
だから、自然と自分の興味のある領域に多くの時間を割いていた。興味のある領域だからパフォーマンスも上がる。いずれ第一人者として認められる。さらにいろいろ工夫したくなる。そういうサイクルが回っていたのかもしれない。
お客さんにタイムリーに良い商品を提供する、それもできるだけ効率よく。そしてお客さんに笑顔になってもらいたい――。それが明確なミッションだった。別に明示的に掲げられていたわけじゃないけど、みんな、暗黙的に分かっていた。
決まったメニューを提供するマックだから、「そりゃそうだろう」ともいえるかもしれない。でも、目指すところが明確だったからこそ、そのために何をすればよいか、店をどんな状態に保てばいいか、各自が勝手に考えられる状況にあったのだと思う。
よく「言われたことしかやらない」という言葉を聞くが、最終的に何を目指しているか分からないのに、自発的に動けるわけない。言われたこと以上のことをやるには、明確な目的意識が必要だ。そして、自律性を引き出すためには、目指す姿の共有化が絶対条件だ。
マックのケースは、何もしなくても分かりやすい「目指す姿」があったのかもしれない。
「バイトは、お金を稼ぐ手段」とだけ思っているやつは、いなかった。そもそも時給650円じゃ稼げない(笑)。「金銭ではない何か」に価値を見いだしていた連中が集まっていた(厳密に言うと、稼ぎを大事にする人たちは、そもそもこなかった)。
金銭以外の何か。それが何なのかは、人によって違っていた。貢献しているという感覚、所属しているという感覚、仲間といる感覚。仲間たちは超絶個性的だったが、根っこの価値観は一緒だったように思う。
普通の企業で、給料以外の働く価値を見いだしている人は、どのくらいいるのだろうか?
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