熱意ある情シスが組織を変える、まずはITで“風穴”をあけろ――LIXIL CIOの小和瀬浩之氏長谷川秀樹のIT酒場放浪記(2/4 ページ)

» 2018年03月30日 08時00分 公開
[伊藤真美ITmedia]

システムは現場で使ってこそ価値が生まれる

長谷川: とんがった人間って、とんがった人間とつながっていますよね。

小和瀬: そう、その彼が紹介してくれたのがクラウドネイティヴの齊藤愼仁さんで、彼とは考え方が一致して、うちの基幹ネットワークの構築を依頼したんです。まだまだ日本の会社、特に製造業はインターネットの活用が十分とはいえません。それを打開する人が必要なんです。とんがった外部の人とつながって、刺激を受けながら旧態依然とした組織を変えていく。長谷川さんもアクセンチュアでは、関係する会社に影響を与えてきたんじゃないですか。

長谷川: いやいや、とんでもないです。やはり、東急ハンズに来てからは、自分の責任でできるので、最高に楽しいです。外部からの支援は限界があると感じていました。特に、ファーストペンギン系のことは(笑)。

小和瀬: 私自身も、花王に入社してすぐ、システム開発部で日本全国の販売会社を回っていた経験が、その後の仕事の基盤になったように思います。日本の北から南まで50拠点くらいを3週間ほど滞在して、システムをメインフレームに切り替えるために、導入だけでなく、オペレーターに説明したり、ピッキングを手伝ったりいろいろやっていましたね。作った本人が一番システムを分かっているわけですから、とにかく動きを確かめて、使いやすさを調整して、現場に根付かせようと一生懸命でした。でも、現場の若い女性がダム端末のテンキーを私の倍くらいの早さで打つんです。そして、あっという間に慣れてしまう(笑)。現場はやっぱりすごいわけですよ。

 タイ、インドネシアやマレーシアの海外関連会社を、数カ月かけて出張で回ったこともあります。その後、出張での海外支援では不十分だと思ったので、タイ花王に出向させてもらいました。そのときも18カ所に拠点があったのでタイはかなり隅々まで行きましたね。まだ専用線が完備されていないところもあって、パラボラアンテナでつないだこともありました。

長谷川: それは楽しそう。それ以降、ずっと情報システム部門にいらっしゃったんですか。

小和瀬: そう、若い頃はずっと現場現場で、本社の仕事をしたことがなかったんです。まるで出世コースとは外れていました。ただ当時としては育てる余裕もあったのでしょう、「海外出張に行くなら観光もして来い」と、特に一流のモノに触れるようにといわれて、よく美術館などに行きました。ある先輩なんて、「自分で何をやるか考えてやれ」っていわれて、米国に行かされましたよ。

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急激な業務改善効果に本社からお偉いさんが見学に!

長谷川: 花王ってそんな会社だったんですか。知っていたら入っていたかもしれない(笑)。

小和瀬: いい会社でした。時代もあるのかもしれませんが、今と比べると締め付けが少なくて、一人ひとりの自由度が高かったと思います。それが、日本全体でいえることですが、いつの間にかリスク管理が厳しくなりましたよね。システムも同様で、管理系ばかりになっていますが、現場の人は手間がかかるばかりで、誰も喜ばないんですよ。やっぱり情報システム部門の仕事は、一緒に業務改革に取り組んで「やったね!」と手を取り合えるようなものでありたいじゃないですか。

長谷川: 本当にそうですね。

小和瀬: とにかくシステムによる業務改革を推進して現場で成果を上げること。それしか当時は頭にありませんでした。タイではけっこうな額の借金があったのですが、売掛金の支払日の見える化と厳格な回収管理や、出荷データの統計処理による需要予測と自動補充による在庫管理など自動化や効率化を図ったら、見る見る赤字がなくなって、5年で借金が消えたんです。

 また社長が利益をタイ人の社員にもしっかり還元する人で、利益が出た分はしっかりボーナスで還元し、経験を積んで引き抜かれそうな有能な人は倍のサラリーを出すなどして、全社的なモチベーションがどんどん上がっていきました。社長自身もその後本社の常務になるなど出世しましたし、いったいタイで何が起きているんだと本社のお偉いさんが見学に来るなどして、ちょっとした話題になりました。

長谷川: 確かに、それは放ってはおかないでしょう。

小和瀬: ええ、本社に呼ばれて、他のアジアの国にも展開しろといわれて、「アジア標準化プロジェクト」を立ち上げてプロジェクトリーダーになりました。それが32歳のことです。

長谷川: いい会社ですね。やっぱり、口だけじゃなくて手を動かして成果を上げた人が評価されるというのは、他から見ても気持ちがいいですからね。

小和瀬: もう張り切りましたよ(笑)。まずやったのが、コードやKPIの統一です。当時の海外拠点はもう「各自でやれ」という雰囲気だったので、もちろん商品コードは各国バラバラで売上の定義も違う。アジア全体の売上を集計するのに3週間もかかっていたんです。それを全部統一して、ボタン1つで見られるようにしました。そうした業務改善をみんなでコツコツやっていったら、かつては「日本では強いけど、海外では勝てない」なんて陰口をたたかれていたんですが、中国も含めて各国No.1になったんです。当時買収したカネボウにも同様に業務改善を行って、そこでも大きな効果がありました。

長谷川: いやあ、気持ちがいいなあ。情報システム部門って、以前は「御用聞き」のように言われていたじゃないですか。それが率先してプロジェクトをけん引して、成果を出していくというのは、情シスの鏡ですよね。

小和瀬: たぶん、ITの技術ばかりやっていたらダメだったでしょうね。私も当時は経理だの流通だの、業務についていろいろ勉強しました。全部英語で覚えたので、今も勘定科目の名称は英語の方が得意です(笑)。

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