佐藤社長が語るクラウドフレア・ジャパンの戦略とIT市場における立ち位置

2022年1月、CDN大手のCloudflareの日本法人であるクラウドフレア・ジャパンの社長に佐藤知成氏が就任した。同氏はクラウドフレア・ジャパンの強みをどのように捉えてどのようなビジョンのもと、施策を展開するのか。

» 2022年07月20日 08時00分 公開
[高橋睦美ITmedia]

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 インターネットが生活や仕事に必要不可欠なインフラになるにつれて、これをより安全で、より速く、より信頼できる環境で利用したいというニーズは高まるばかりだ。

 Cloudflareはこれらに応えることを目的に2010年に設立されて以来、全世界にデータセンターやPoP(接続ポイント)を展開しながら、コンテンツ・デリバリー・ネットワーク(CDN)の他、分散型サービス妨害(DDoS)攻撃対策やゼロトラストネットワークアクセスといったセキュリティサービスを提供してきた。

 Cloudflareの日本法人であるクラウドフレア・ジャパンの執行役員社長に2022年1月に就任した佐藤知成氏は、長年にわたってIT業界に携わってきたキャリアの持ち主だ。その経験を踏まえ、クラウドフレア・ジャパンでどのような価値を届けようと考えているのか、戦略を尋ねた。

Cloudflareのアーキテクチャは「パッケージソフト登場以来の衝撃」

──佐藤社長のこれまでの経歴を教えてください。

佐藤知成氏(以下、佐藤氏): 1985年に大学を卒業後、一般に「ソフトウェアハウス」と呼ばれていた開発会社に入社しました。当時、通商産業省が「プログラミング技術者は約30万人枯渇している」と問題提起していたこともあり、これからはコンピュータの時代だと思ったことがきっかけです。大学時代は情報系の勉強をあまりしていなかったため、社会に出てから猛勉強して情報処理関連の各種資格を取得しているうちにプログラミングが楽しくてしょうがなくなり、「コンピュータの仕事は自分に合っているな」と思いました。

 この仕事を極めたいと考えたのは、日本ディジタルイクイップメント(以下、日本DEC)が国内工場を作るという新聞記事を見たのがきっかけです。「こうした会社で世界に羽ばたけたらいいな」と考え、人事に電話をかけて「工場を作る際には、情報処理の専門家が必要ではないですか」と直談判したところ無事採用されました。

クラウドフレア・ジャパンの佐藤知成社長

 こうして転職して正式に配属されたんですが、そこで工場長に言われた言葉は本当に衝撃的でした。まだ25歳くらいの私に「君に工場のシステムは任せるから」と言ってくれたんです。そこからさらに勉強してプログラミングはもちろん、生産管理や在庫管理などの業務プロセスについても調べて、工場開設に必要なシステムをほぼ全て作りました。

──最初はエンジニアだったんですね。

佐藤氏: はい。その後日本DECでグローバル共通のシステムを導入する話が持ち上がり、日本を代表して全社のワークショップに参加しました。そこで評価をして採用が決まったのが「SAP」のシステムで、本当に衝撃を受けました。当時、日本では「パッケージシステムなんて動くのか」と言われていた時代でしたが、無事にSAPでERPの導入プロジェクトを完遂したんです。

 それが落ち着いた頃、日本DECがコンパックコンピュータに買収されたのを機に、当時ERP事業部を立ち上げて力を入れ始めていた日本IBMに転職しました。その後、SAPというシステムにほれ込んでいたこともありSAPジャパンに移り、主な国内パートナーとのアライアンスを構築、その後通信・公益・公共分野向けの営業を担当しました。そこでの経験を買われて、今度は日本マイクロソフトの公共部門に移りました。クラウドシフトの流行を踏まえながら、官公庁や自治体、病院、教育機関へのクラウドのプロモーションに従事した後、アマゾン ウェブ サービス ジャパンから声をかけられ、エンタープライズビジネスを手掛けることになったという具合です。

──どういった経緯でクラウドフレア・ジャパンの社長に就任されたのでしょうか?

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