(1)製品Xの原価は?
製品Xは上限に達していますが、もし値引きすれば増販できるとしたら、どれだけ値引きをしても増販するべきでしょうか? 極端な話ではなく、現在150トンが上限ですが、それが151トンまで増販できるとし、値引きは増販分についてだけ行うものとします。
通常の原価計算的に単純に考えれば、次のような発想をするでしょう。
・製品Xを1増やすには、製品Yの1トンを装置Qで処理させればよい。すなわち6+3=9円まで値下げすることができる
・原料を1トン必要とする。高い方を使うとしても6+3=9円になる。上と同じ結果になった
そこで、9円なら1トン売れるとの商談があったら、飛び付くのではないでしょうか。ところが、これらは装置Qと装置Pがすでに余裕がないという「余裕有無の原則」を無視しています。
実際にX≦151としてLPを再計算すると、製品Xを1トン増販したときの全体の変化は図2-6のようになります。装置Pと装置Qに余裕がないので、原料の割合を変化させています。そして、目的関数の値が0.67増加しました。その増加分を0とするならば、製品Xの価格は、10−0.67=9.33円にまでしか値下げすることはできないのです。これも、気付かない意思決定の誤りですね。
ところで、この0.67という数値は、わざわざ再計算しなくても、先のLP計算をしたときに得られているのです。図2−5のXの範囲のラグランジュ乗数が0.67となっています。これはレジューズドコストとか影の原価ともいわれ、LPでは重要な概念になっています。
(2)損得計算に必要な精度
次は装置Pの変動費について考えます。現在の変動費は1円で、ラグランジュ乗数が1円なのですから、変動費が1+1=2円以下ならば、フル稼働させるのが良いといっています。ですから、変動費が2円に近い状態ならば、変動費の精度をよく調べる必要があります。それに対して、まず2円以上になることはあり得ない状況ならば、ムキになって調査する必要はないのです。
現実には、この装置変動費の把握が大きな問題をはらんでいます。ここで検討しているのが図の変動範囲であるとすれば、変動費としてはAの値を採用する必要があります。これならば1円±0.3円程度であり、まず装置Pはフル運転するのがよいという結論になります。
ところが経理部に聞くと、会計的原価計算方式によるデータを持っているので、CやBの数値を答えるのですね。それでは2円どころか3円だ5円だという値になってしまい、稼働を縮小せよとの結論になりかねません。どうも直感と異なるので再調査を依頼すると、帳票の山と格闘して、3.25円だとか4.87円だとかいってきます。ABCによる数値は、さらに固定費の配賦のために、さらに高い値になります。努力すれば努力するほど、誤った意思決定になるというのでは困ります。
従来より会計原価の概念は普及しており、コンピュータ処理によって、より精度の高い数値が簡単に得られますが、その値がどのようにして算出されたのかは、ますますブラックボックス化しています。それに基づく値で損得計算をしたのでは、意思決定を誤る危険がますます増大します。しかも、その誤りに気付かないのです。
なお、ここではLPを例に出しましたが、なにも損得計算にはLPを使うべきだと主張しているのではありません(それに適した手法ではありますが)。損得計算では、合理的な考え方をすることが重要なのだという例として用いただけです。
(3)損得原価に関する批判
会計原価が損得評価に不適切なことは理解できたので、管理会計的な視点から損得評価に使える原価体系を作ろうとすることがよくあります。ところが、往々にして「その原価の総額を会計原価と一致させろ」という意見が強いのですね。それは“ないものねだり”です。会計原価は余裕有無の原則を無視しており、損得計算ではその原則を重視しているのですから、根本的に体系が異なるのです。
しかも損得計算上の原価は、余裕有無の変化により大きく変動します。期間中それが変化しないのであればよいのですが、変化するのが通常でしょう。LPでは、「上限値までは無条件に売れるが、それ以上は全然売れない」という非現実的な仮定の上に成り立っています(モデルの工夫で緩和できますが)。そこで、ラグランジュ乗数が状況の変化に敏感に対応し過ぎる傾向があります。そのたびに売れ/売るなといわれたのでは、営業は狼狽してしまうでしょう。
蛇足:ITは省力化より省脳化を実現した
損得計算では、「考え方」が重要です。そして、この「考え方」こそが、人間活動の特徴です。コンピュータがビジネスに使われ始めたころ、「無味乾燥な計算処理をコンピュータにやらせて、人間は創造的な業務に専心しよう」といわれました。ところが皮肉なことに、コンピュータが発展するに伴って人間は考えることをしなくなったのです。
「ITは経営を変える」といわれています。しかし、その多くは“ITの腕力で課題を解決する”という工業化社会の発想のようです。知識社会としてのITの活用には、ビンボー時代のナレッジを再評価する必要があるというのは、私のような年寄りのノスタルジアでしょうか?
まとめ
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木暮 仁(こぐれ ひとし)
東京生まれ。東京工業大学卒業。コスモ石油、コスモコンピュータセンター、東京経営短期大学教授を経て、現在フリー。情報関連資格は技術士(情報工学)、中小企業診断士、ITコーディネータ、システム監査、ISMS審査員補など。経営と情報の関係につき、経営側・提供側・利用側からタテマエとホンネの双方からの検討に興味を持ち、執筆、講演、大学非常勤講師などをしている。著書は「教科書 情報と社会」「情報システム部門再入門」(ともに日科技連出版社)など多数。http://www.kogures.com/hitoshi/にて、大学での授業テキストや講演の内容などを公開している
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