IT徒然草――コストと利便性を追い求めて失うもの何かがおかしいIT化の進め方(18)(2/4 ページ)

» 2005年07月28日 12時00分 公開
[公江義隆,@IT]

デジタル化で失われる情報(1)

 少し視野を広げて、ほかの分野ものぞいてみる。音楽のメディアでは、アナログレコード(LP)や磁気テープからCDへ、さらにMDやデジタル・ミュージック・プレーヤなどへ移行する中で、利便性や雑音の軽減と引き換えに、音の響きや演奏のニュアンス、さらに音そのものの美しさを失ったように感じる。

アナログの連続信号を、離散的なデジタル信号に変換する(サンプリング・量子化)AD変換プロセスで情報が失われる。MDやデジタル・ミュージック・プレーヤの世界では“データ圧縮”という操作によって、さらに情報が失われる。

 少し専門的な話になって恐縮だが、CDでは人間が聞こえる音の範囲を「20?20000ヘルツ」という前提の下で、「信号の2倍の周波数でサンプリングすれば、元の信号が再現できる」という情報理論で有名なシャノンのサンプリング定理に基づいて、サンプリングの周波数は44.1キロヘルツ(元の音声信号を1/44100秒=0.023ミリ秒に1度の割合で拾い上げる)、16ビットで量子化(音声信号は1/(2の16乗)の分解能)というフォーマットが決められている。しかし、アナログ時代からの音楽愛好家やオーディオマニアの一部には、CDの評判はもうひとつであった。単純音(ポーとかプーといった感じのサインウェーブ)では、20000ヘルツが聴覚の上限でも、人間は条件によっては20000ヘルツ以上の音の存在を感じることがあるらしい。

 人間が受ける感覚の特性について、“受ける感覚の強さは、刺激の強さの対数に比例する”という「ウェーバー・フェヒナーの法則」がある。簡単にいえば、小さな音の部分ではごく小さな音量の変化でも感じ取り、大きな音の場合は大きな変化でないと変化と感じないという特性である(注)。結果的に、現在のCDのフォーマットでは必ずしも十分ではなかったようである。最近普及し始めた新しいCDの規格であるSACD(Super Audio CD)では、2.8メガヘルツというCDの64倍のサンプリング周波数を用いているほか、音の強弱の範囲を表すダイナミックレンジはCDの10倍以上のフォーマットとなっている。

 ここでの問題は、発売されるSACDの音源である。SACDを意識したごく最近の録音以外に特長を生かせるのは、皮肉なことに1950?60年代のアナログ録音の音源なのだ。1970年代に始まったデジタル録音された作品の中には、残念ながらCDレベルの情報しか記録されていないものがある。このような作品は、いかなる名演奏であっても0.023ミリ秒のサンプリング周期の間にあった音の情報、16ビットの分解能に収まり切らなかった音の変化は永久に再現できない。CDの商品化は事業としては大成功であったが、芸術作品の保存という観点からは時期尚早であったのかもしれない。


(注)
 昨年遅ればせながら、デジタル放送対応の大型液晶テレビを買ったが、音量調節がスムーズでない。小音量時には音量目盛りを1つ上げる(リモコンの1クリック)だけで大幅に音量が変わってしまい、大音量時では目盛りを変えても音の大きさはあまり変わらない。
 ウェーバー・フェヒナーの法則に従えば、目盛りに対して音声信号(信号電圧)の大きさが対数関係になるように、素子や回路を設計しておく必要があるのだが、このテレビはそうなっていないようである。
 アナログ式の機械に使われる音量調節用の可変抵抗器には、つまみの回転角度に対し、電気抵抗が対数的に変化する(A型カーブと呼ばれる)規格を使うのが設計者の常識であったが、こんな知識の継承も途絶えたのであろうか。IT分野にも継承されない常識の問題が相当あるようだ。


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