それから3日間、湯舟は時間を作ってはピタカを調査し、一体この技術を使って何ができるかを探った。キャリアが公開している仕様書を読み、テスト用サーバを立ててサンプルを作成した。仕様からして、やはりフリーペーパーや店頭で配布するクーポンのような用途として策定されていることがうかがえた。
通常のクーポンからの大きな違いは、配布を容易にしているところだ。街角で配布員のバイトを雇わずとも、ユーザーがダウンロードしてくれる。それだけならグルメサイトなどと同じだが、それに加えてクーポンそのものを携帯の上でカードのように見せられること、そのカードを友人に送れることが違いなのだろう。だが、それだけでは、何かが足りないように思えた。
1つのポイントは、カード内のHTMLに画像を入れる、その画像を静的なものではなく、表示の都度サーバで生成するようにすれば実際のダウンロード数が分かる。その画像をQRコードとし、店頭でそれを読み込めば、紙のクーポンを店員が人手で数える必要もなく、着券数も正確に分かる。これは、クーポンを事業としてやる場合には、非常に大きな武器になる。
ピタカに埋め込まれているHTMLは、ダウンロードや非接触IC経由で入手するたびにユニークにすることができるが、一度入手したHTMLは何人の友人に送っても同じものになる。となれば、もともとのピタカをダウンロードしたユーザーが、実際に店頭で利用された件数や利用金額に応じたインセンティブを受け取るような、アフィリエイトの仕組みも作れるだろう。さらに、ピタカは携帯アプリから生成することも可能だ。携帯アプリがアフィリエイト会員向けサイトと通信してピタカを生成するようにすれば、アフィリエイト・マネージャのようなものも作れそうだ。印刷物やHTMLのような固定的なものとしてピタカを使うよりは、ぐっと用途を広げられる。
そのようなピタカが、ユーザーにとって積極的に欲しいものになれば、それを入手するという動機で集客が図れるかもしれない。特定の場所でしか入手できないなら、それが欲しい人はそこへ行くしかないのだ。久慈部長からのテーマは、シネコンへアピールできる観客動員数を実現できるプロモーションだが、シネコンへ集客できるツールとなれば、シネコンへ違った方向からもアピールできる可能性がある。それを実現するためには、シネコンの店頭に非接触ICのリーダライタを置き、そこでしか取れないピタカを取れるようにすることだ。限られた店頭のスペースで非接触IC経由でのピタカの配布と、ピタカ埋め込みQRコードの読み取りを可能にするとなれば、端末を一体化させる必要があろう。専用のデバイスを作るか、PCベースのPOSレジに組み込むか。だが、シネコンの店頭にはPOSレジはない、専用デバイスが必要となると大掛かりに過ぎるかもしれない。ノートPCに非接触ICのリーダライタとQRコード読み取り可能なカメラを付けるのが妥当か。
ちょうど大枠のイメージが固まってきたところで、野田が席にやって来た。この3日間は全然社内で見掛けなかった。どこで油を売っているのかと思ったが、ちゃんと仕事をしてきたようだ。
「どう、イケそう?」
「ああ、大体見えてきたよ。サーバと端末に工夫をすれば、だいぶ面白いことができそうだ」
「やるなあ。さすがは湯舟、うちのエースだけのことはある。こっちもいい感じに話が広がってきた。ちょっと、コーヒーでも飲まないか」
2人は立ち上がってコーヒー・コーナーへ向かった。歩きながら野田はいった。
「非公式だけど、話をつけてきた」
「どこと?」
野田が答えた企業名は、湯舟を驚かせるのに十分なものだった。1つは、国内屈指の広告代理店、1つはピタカをサービスしているキャリア本体だったのだ。
「話をつけてきたって、何の?」
野田は上機嫌でコーヒーをついだ。よほど機嫌が良いのだろう、湯舟の分もついでくれた。
「ピタカの新しい可能性を切り開く広告媒体を開発するということで、資金面を含んだ協力を打診してきた。資金については、合弁会社の設立、あるいは、キャンペーンへの協賛とか、いろいろ可能性はある。まだそこまで詰まってないが、どちらもかなり乗り気だったよ。あの会社が乗り気となれば、収益が合う限り、予算は事実上無制限みたいなもんだ」
無制限の予算とは、野田は一体どんなレベルの相手と話をしてきたのか、どういう人脈を持っているのか、湯舟はぽかんと口を開けたまま、野田の差し出すコーヒーを受け取った。驚きのあまり、腰を下ろす拍子にコーヒーが少し手元にこぼれた。
「熱っ!」
「何やってんの、エース様。で、そっちはどんな感じ? 面白そうって、どんな?」
湯舟はこの3日間で検討してきた資料を広げて説明を始めた。野田は、真剣な顔で湯舟の話を一通り聞いた。
「なるほど、確かにいい感じだな。ビジネス的な広がりもそれなりに見込めそうだし、技術的な実現可能性ってのが、ほぼ見切れてきたってことが何よりだ。よし、じゃあこれで提案書を書こうか」
「提案のタイトルは?」
「新プロモーション媒体 事業化検討プロジェクトのご提案、かな」
「広告媒体を事業としてやりませんか、って話になるのか、やっぱり。もらったお題も大きかったけど、それをもっと大きくしちゃうのか……」
湯舟は熱いコーヒーを気を付けながらすすった。
「山田社長なら、ゴーを出す可能性は十分にあると思う」
「あるとは思う、確かに。じゃあ、書いてみようか」
「オーケー、構成と分担を決めよう」
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