坂口 「伊東君、君ならまず何から手を付ける?」
伊東 「まったく見当もつきまっせん!!」
悪びれもせず勢いよくいい放つ伊東。
坂口 「見当もつきません、ってさぁ……。せめて、一緒に考えようよ?」
伊東 「そういうのは上の人が考えてくれるもんですよね。僕は指示されたとおりに動くだけですから!!」
坂口は“のれんに腕押し”とはこのことだなぁと思うと同時に、伊東にもっと当事者意識を持ってほしい、と感じるのだった。
坂口 「伊東君、総務部に2年間いたんだよね。総務の仕事にもいろいろあったと思うんだけど、君はどういう仕事をしてたの?」
伊東 「主な仕事は、お茶くみとコピー取りでした!」
自信満々に答える伊東に、黙り込んでしまう坂口。
坂口 「……。ちょっと西田副社長のところに行こうと思うんだ。伊東君も一緒に来るかい?」
伊東 「いえ。僕はいまコーヒーを入れたところなので!!」
坂口 「……。分かったよ。じゃあ、俺1人で行ってくる」
坂口は、伊東がこの先ちゃんと戦力になるのか不安を覚えつつも、1人で西田副社長を訪ねて役員フロアへ向かうことにした。
そして、ここは25階にある役員専用フロア。床にはじゅうたんが敷き詰められ、ほかのフロアとは趣を異にする重厚感のある雰囲気だ。
そんな役員フロアのエレベータホールで、長身の女性と小柄な男性が何やらもめていた。
女性 「ここの数字、私がいってた目標と違うじゃない!! 何とか専務への説明は切り抜けたけど、冷や汗かいたわよ。もう一度ちゃんと作り直しなさい、1時間以内よ!!」
男性 「も、も、も、申し訳ございません!! す、す、すぐに直します!!」
エレベータの扉が開くと、中には坂口が乗っていた。ちょうどエレベータの前で男性が女性にしかりつけられていたため、坂口はその横をすり抜けようと、そっとエレベータから降りようとしたが、うっかり坂口の腕がその長身の女性のひじに当たり、持っていた資料が宙を舞った。
坂口 「ああぁ、すいません!」
女性は、一瞬、刺すような視線で坂口をにらみつけたかと思うと、スッと表情をほころばせていった。
女性 「あら、あなた。坂口啓二君でしょ?」
坂口 「あ、ええ、そ、そうですけど……」
坂口は、床に落ちた資料を拾い集めて、女性に手渡した。
女性 「あなた、営業やってたんでしょ。いい顔してるわ。私は営業企画部長の天海よ」
坂口に話し掛けたのは、サンドラフトビール本社営業企画部で部長を務めている天海有紀だった。人を寄せ付けないピリッとした緊張感を持っているが、凛とした美人で坂口は大きな目に吸い込まれそうになった。
坂口 「は、初めまして。よろしくお願いします」
天海 「部門間をITで連携させるなんて無駄だわ。それぞれの部門は、それぞれの役割を果たしさえすればいいのよ。そんなことに坂口君を使うなんてもったいないわぁ。ウチの部署へいらっしゃいよ」
坂口 「ははっ!! ありがとうございます!」
天海 「あら、私は本気よ。私のいうとおりにした方がいいに決まっているわ。でも、今日は時間がないからまた今度ね」
そういい残すと天海はさっそうとエレベータに乗り込んでいった。部下と思われる小柄な男性も坂口に軽く会釈をすると、慌ててエレベータに乗り込んでいった。
エレベータの扉が閉まると、役員フロアは本来の静けさを取り戻していた。坂口は、天海の勢いに圧倒されたが、きれいな人だったなぁ……、とにんまり振り返っていた。そして、副社長室を訪ねた坂口だったが、西田副社長はあいにく不在だった。
無駄足だったかとエレベータホールに向かってとぼとぼと歩いていると、威圧感を漂わせた恰幅の良い1人の男性が前から歩いてきて坂口に声を掛けた。
男性 「見掛けない顔だな!」
坂口 「IT企画推進室の坂口です」
男性 「お前が坂口か?。西田さんが子会社から引っ張ってきたやつだな。俺が佐藤だ」
坂口に声を掛けたのは、サンドラフトビール本社で専務取締役兼CIO、IT企画部長を務めている佐藤光一だった。単なる威圧感だけでなく、頭の回転や洞察力に優れていることが伝わってくる貫録を持っていた。
坂口 「佐藤専務、初めまして!」
佐藤 「子会社での活躍は聞いているが、ここは本社だ。出過ぎたマネはするなよ」
キッとにらんでそういい放つと、佐藤は早々に去っていった。坂口は、佐藤の威圧感と非歓迎ムードに戸惑いを感じてしばし呆然とその場に立ち尽くしていた。
席に戻った坂口は伊東に、副社長に会いに行った際に天海や佐藤と会ったことを話した。
伊東 「佐藤専務に天海部長ですか。僕はお会いしたことないですね」
坂口 「同じ本社の人間なのに?」
伊東 「そうですねぇ。他部署との調整って面倒じゃないですか。だからほかの部門の方と会う機会なんてあんまりないですね」
坂口 「でも総務にいたんだろ? 総務って他部署との調整、結構あるんじゃないの?」
伊東 「仕事上、他部署とかかわることはありますが、皆できるだけ避けてましたね。だって、どの部署も自分のところのことばかり気にするから、調整できないんですもん」
坂口 「そっかぁ……」
坂口は(サンドラフトビールにはセクショナリズムの問題があるのかなぁ……)と漠然と思い始めていた。だが、まだこのときにはその問題が「新生産管理システム構築プロジェクト」にとって、この後、巨大な壁として立ちはだかることになろうとは知る由もなかったのだが……。
Copyright © ITmedia, Inc. All Rights Reserved.