上司が裏金を受け取っていたら……チクっていいの?読めば分かるコンプライアンス(9)(2/4 ページ)

» 2008年09月09日 12時00分 公開
[鈴木 瑞穂,@IT]

セクハラ&パワハラ上司にご用心

 そう考えると、河田の行動は早くて強引だった。この日、中田に対して接待の同行を命じたのだ。派遣契約上も、「そのほか、部門マネージャの補助のために必要な業務に従事すること」という一文があるし、もちろん時間外の割増料金も払うのだから、何ら問題はない。

 接待は淡々と進み、「それではまた近いうちに……」という社交辞令を交わし、相手をタクシーに乗せて、それを見送って終わった。

 去り行くタクシーに向かって下げていた頭を起こし、河田はいった。

河田 「まだ21時、宵の口だ。もう1軒付き合ってくれないか」

 文法的には依頼文だが、実質的には命令文である。そこら辺の事情を把握している中田は、ここで四の五のいうとかえって面倒になるのが分かっていたので、河田に誘われるまま、河田の行きつけだという赤坂のバーに向かったのだった。

 バーに着くと、河田はバーボンのオンザロックを頼み、中田のために「サマーサンセット」というその店のオリジナルのカクテルを注文し、まずは当たり障りのない話題から始めた。

 そして、そろそろ潮時だろう、と見切りをつけた河田は、そろりと切り出した。

河田 「ところで、玲子くんは紹介派遣だったよね」

中田 「ええ、そうです」

河田 「で、どう? ウチの会社で、いや、僕の下で働いてみる気になったかい?」

中田 「ええ、そうですね、グランドブレーカーという会社はいい会社だと思いますよ」

河田 「そうか。僕と働きたいという気持ちになってきたってわけだ。よかったよかった。いまはまだ不動産系グループのシニアマネージャだけど、僕はいずれ役員になるからさ。そのプロセスで玲子くんの協力があれば、僕も助かるなぁ」

中田 「そういっていただくのは、ありがたいんですけど……」

河田 「そのためには、もっとお互いを知り合う必要がある。というわけで、どうだろう、今晩は場所を変えてじっくり話し合おうじゃないか」

中田 「……。それ、誘ってるんですか? まさか……。違いますよね?」

河田 「だから、場所を変えて話し合いたいと……」

中田 「話し合いだったら、明日オフィスでもできますから。何も今夜これから場所を変える必要もありませんわ。それともなんですか、ホテルにでも行って、シャワーでも浴びて、服でも脱いで話し合おうと、そうおっしゃるんですか? まさか……ですよねぇ」

河田 「いや、だから、その……」

中田 「とにかく、場所を変える気はありませんので。今夜はこれで失礼します。サマーサンセット、ごちそうさまでした。ちょっと甘口でしたけど、おいしかったです。では、明日またオフィスで……。そうそう、10時からマネージャ会議ですからね。では、おやすみなさい」

 そういうと、中田はサッと立ち上がって店を出て行った。1人残された河田は、やけ酒気味にバーボンのオンザロックをあおっていたのだった(ちきしょう。中田玲子……! 派遣社員のくせにこのおれをコケにしやがって……!)。

 一方、店を出てタクシーに乗った中田は、心の中で思いっきり河田をののしっていた。

中田 「(河田啓三という男、最初は仕事のできるいい男だと思ったけど、あれはダメだわ。確かに仕事はできるけど、それだけで自分は世界一優秀だとうぬぼれている自尊心の化け物だわ。人はみな自分のいう通りに動くもんだと思っている。『場所を変えて話し合おうじゃないか』ですって!? そういえば私が喜んで付いてくると思ってんのかしら。ばっかじゃないの!! あいにく私はそんな軽い女じゃないわ!)」

 中田は子供のころから正義感が強かった。普段は明るく素直でかわいらしい女の子だが、弱い者いじめをする男子や、陰険な嫌がらせを働く女子を見ると黙っていることができず、いつもそんな男子や女子に頭を下げさせていた。

 学生時代までは自分の正義感のままに行動できていたが、社会人になってからは様子が違ってきた。正義感に満ちあふれた女の子は、誇りと名誉と意地と欲が渦巻く社会人生活の中では、トラブルメーカー以外の何者でもなかった。

 大学を卒業して入社したのは有名総合商社だったが、そこにもスーツを着たいじめっ子や化粧をした嫌がらせっ子がいた。それらとしばし衝突した中田は、自分の正義感を貫こうとすれば、自分の心が傷付けられ、誇りが失われていくばかりだということを知った。

 そんな生活に疲れ、自分の心と誇りを守るために、中田は入社4年で総合商社を辞めて派遣社員に登録し、いままでに2社でそれぞれ1年半ずつ勤めてきた。

 派遣社員ならば、決まった仕事をこなすだけでいい。職場でのいじめや不正は、相手が自分と同じ正社員だと思えばこそ許せないものの、自分が派遣社員ならば許すも許さないもなく、無視していればそれでよい。それでも、見て見ないふりをする自分にだんだんと我慢ならなくなってくるが、いよいよ我慢ならなくなったら、契約期間の更新をせずにその職場を立ち去ればいい。

 そうやって、過去2つの会社での勤務を打ち切ってきた。今夜、河田にあんなことをいわれたのでは、このグランドブレーカーでの勤務もそろそろ限界にきているようだった。

 グランドブレーカーでの勤務については、つい先日、6カ月間の更新の手続きを終えたばかりだったから、あと7カ月は仕事だと割り切って河田の秘書を勤めなければならないが、今夜たったいま、その次の更新はしないことを決心した。

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