“変化”は外からやってくる(後編)何かがおかしいIT化の進め方(40)(2/4 ページ)

» 2008年12月25日 12時00分 公開
[公江義隆,@IT]

“お金への飽くなき欲望”

 リスクを下げるつもりの証券化は、別の金融商品への債権の再分割・分散化が繰り返される中で全容が見えなくなり、1つの不安がたちまち全体に広がって、逆にリスクを創造する結果となった。「高度」とされている金融工学理論は、金融商品の売り手側が上向き状況のときにのみ成り立つ理屈であった。逆の状況になった場合の人の行動という要素は考慮されていなかったのだろう。

 牛乳にメラミンが混入されたことを知れば、すべての乳製品や、乳製品を原料に含む加工食品全体が市場からボイコットされる。「拡散され、薄められて、量が少ないから危険性(リスク)は少ない」という理屈には人は耳を貸さないものなのだ。米国の金融システム破たんは、規制なき市場原理主義の下、“行きすぎた競争”と“お金への飽くなき欲望”、“走りすぎた才”の必然の行き着き先だったのかも知れない。

 サブプライムローンを発端とする今回の問題を、「100年に1度の大経済危機」(注2)という前FRB議長のアラン・グリーンスパン氏は、自著『波乱の時代(下)』(日本経済新聞社/2007年11月)で、次のようなことを紹介している。

 「所得が増えて幸福度が上がるのは、基礎的なニーズが満たされる時点まで。それを超えると物質的な豊かさではなく、対等と思える周囲の人の豊かさと比べてどうかということに左右される」「ハーバードの大学院生相手の調査では、自分の年収が5万ドルで同僚がその半分の場合と、年収が10万ドルで同僚が20万ドルの場合、大部分が前者を幸せと答えた」

 なお、“ウォール街のマイスター”とまで呼ばれていたグリーンスパン氏は、その後「“市場に任せておけばうまく行くと思っていた”という自分の考えは間違っていた」と議会で証言させられている。


注2: 1929年に始まった世界大恐慌を意識した言葉であろう。そのどん底の1933年には、米国では4人に1人が失業し、工業生産は半減した。欧州各国の工場生産は2〜4割、日本でも約1割低下した。異なった経済圏であったソ連には影響は及ばなかったといわれている。


不安定では困る基軸通貨のドル

 少し時間をさかのぼって2001年9月、金融のメッカの象徴、ニューヨークのワールド・トレードセンタービルが破壊された同時多発テロが勃発した。政治的に行きづまっていたブッシュ大統領は、「テロとの戦い」の旗を勇ましく掲げてアフガニスタンに攻め入り、調子に乗り、難癖をつけてイラクにまで戦争を仕掛けた。最新のIT技術が武器や戦闘に用いられたが、テロやゲリラ戦にはあまり効果はなかったようだ。

 先のベトナム戦争同様、現地住民に被害を与える戦闘行為が住民を敵に回すこととなり、先の見えない泥沼状態に陥って国は疲弊し、また一国主義的な振る舞いは諸外国との亀裂を深める結果となった。勇ましく戦う姿が好きな米国民には、「テロやゲリラには戦いでは勝てない」というわずか30年前のベトナムの教訓は生かされなかった。

 間の悪いことに、このように国の疲弊した時期に金融危機が発生した。 国力(政治力、軍事力、経済力)が弱まり米国への信用が下がれば、基軸通貨としてのドルへの信用も低下する。いままでのように借金して消費を続け、ドル紙幣を印刷して穴埋めをするといったことは難しくなる。しかし、世界の中で「消費」機能を担っている米国が消費を落とせば、「生産」機能を担ってきた日本や中国はたちまち大きな影響を受けることになる。

ティータイム 〜簡単にいえば、金融の仕組みとはこういうこと〜

 金融の仕組みは、簡単にいえばこのようになっている。例えばある預金者が100万円をA銀行に預金したとする。これによりA銀行の預金残高は100万円増えるが、1割くらいを手元に残して90万円を貸し出しに回すこととする(なぜ1割くらいかというと、銀行には多数の預金者と多数の貸出先、融資先がある。1割くらいが手許にあれば、1人の預金者が預金を全額払い戻しに来たとしても、新しい融資先があっても、1件くらい貸出し先が回収不能になっても、実際には十分に対応できるため)。


 次に、B社がC社から機械を買うために、A銀行から90万円借りるとする。すると、まず90万円がB社の取引銀行であるA銀行のBの口座に振り込まれ、さらにC社の取引銀行であるD銀行のCの口座に振り込まれる。これにより、D銀行の預金残高は90万円増える。E銀行は9万円を手許に残し、81万円を次の貸し出しに回す──こんな流れが続くと、最初の100万円は結果的に1000万円のお金の動き(すなわち経済活動)を作り出すことにつながってゆく。つまり、100万円が1000万円分の“信用”を創造し、1000万円分の“経済活動”を作り出しているわけだ。これが「金融」の基本的な仕組みだ。


 ただし、これは預金者や銀行が「預けたお金や貸したお金は戻ってくる」という銀行や貸出先に対する信用に基づいて成り立っている仕組みである。この流れの中のどこかが少しでも破たんを来たすと、「信用の創造」とは逆向きの「信用の収縮」が起こる。皆が相手を信用できなくなり、「預けたお金や貸したお金が返してもらえなくなるのではないか」と疑心暗鬼になり、銀行は貸したお金の回収や貸し渋りに走り、預金者は払い戻しを求める。市中に出回るお金は減り、経済活動は停滞し、不景気となる。


 もし、すべての預金者がいっせいに預金の引き出しや、貸し出しの回収に掛かれば、銀行には預金の1割しか現金がないため、この仕組みそのものが破たんし大混乱に陥る。こんなことが懸念されるとき、A銀行には90万円、D銀行には81万円といったように、各銀行に第三者が一時立替用としてお金を注入すれば、引き出しや回収にも対応可能となる。その結果、疑心暗鬼は解消され、全体が落ち着いてくれば、注入したお金は必要なくなる。潰れなくてもよい銀行を潰さなくて済む。もともとの「公的資金注入」とはこういうことだ。


 また、銀行の持っている債権(貸し出し)が回収できなくなったり(不良債権化)、持っている株式などの資産が目減りすると、結果的に自己資本の比率が低下することとなる。そうなると、国際的な規制(自己資本比率が8%を割ると国際業務ができなくなり、4%を割ると銀行業務ができなくなる、というもの)によって銀行の存立ができなくなる。


 こんな懸念から銀行は貸し渋りや回収に走る。この貸し渋りや無理な回収を止めさせて、つぶれなくてもよい融資先を潰さないようにするため、銀行の資本を増強する目的に公的資金の投入がされるというわけだ。特に、最近はこうしたケースが多い。


──メーカーで仕事をしてきた私には、何とも危なっかしい仮想世界のようで、なかなかピンと来ないのですが、お金の世界はこんなことで回っているようです……。



Copyright © ITmedia, Inc. All Rights Reserved.

注目のテーマ