変化の中で、自らを制御できるものが生き残る何かがおかしいIT化の進め方(43)(3/4 ページ)

» 2009年06月23日 12時00分 公開
[公江義隆,@IT]

経済性・便益性と安全性は矛盾する

 アレルギーを引き起こす免疫系とストレスの仕組みを例にしながら、問題の背景、要因となっている生活環境の変化について述べてきたが、この半世紀における生活環境のもう1つの“激変”として、人工的な化学物質のはんらんがある。

 自然界の長い歴史の中で、餌を求めて「食べる側」の動物と、餌として「食べられる側」の動植物の間には、種の生き残りをかけた攻防があった。食べ尽くされて絶滅することのないよう、食べられる側は内部に毒を準備し、食べる側は餓死することのないよう、解毒機能を体内に準備することで、長年の進化の過程の中で“共存できるバランス”を作り出してきた。自然界には強い毒を持つものも多数残っているが、人は経験的にそれらを避ける術や知識、嗅覚、味覚を備えてきた。これが「自然界にある天然物の安全性は比較的高い」という背景である。

 人を含め、高等動物の解毒機能のほとんどは肝臓にある。そして、消化食物成分を吸収する胃腸壁の血管は、まず肝臓につながっており、食べた毒物は肝臓に運ばれて解毒されてから、全身に送られるように血管系が作られている。つまり「毒物は口から入ってくる」ということが、人を含め、動物の長い間の生活環境であったわけである。生物の器官の構造もまた、環境が作り上げてきたものなのだ。

 しかし、20世紀、特にその後半に、人類はおびただしい数の化学物質を作り出した。いま、われわれは十数万種に及ぶ人工化学物質に取り巻かれた環境に暮らしている。例えば、殺虫剤や農薬は、蚊を減らしてマラリアなどの疾病対策に効果をあげるとともに、農作物を荒らす害虫の駆除により、農業の生産性向上に大きく役立った。

 かつての代表的な殺虫剤であったDDT(有機塩素系の化学物質)も、その高い効果から多用された。しかしその後、環境問題の火付け役となった『沈黙の春』(レイチェル・カーソン=著/青樹 簗一=訳/新潮社/1974年2月)が引き金となり、人に対する毒性、体内への蓄積性、土壌への残留性などが大問題となり、先進国ではDDTの使用が禁止された。これに代わって有機リン系の殺虫剤・農薬が登場したが、こちらも強い毒性や体内蓄積性を有している。

 現在、家庭用の殺虫剤などに用いられるピレストロイド系剤も、人より昆虫への毒性が相対的に強いものの、毒性があることに変わりはない。経済性・便益性と安全性は、多くの場合、矛盾するのである。

化学物質漬けの生活環境

 これらの殺虫剤・農薬の毒性の多くは、神経機能を阻害する「神経毒」であり、毎年どこかで中毒が発生している。有機リンは、神経伝達物質の1つ「アセチルコリン」に作用する「コリン・エステラーゼ」という生体内酵素の機能を阻害し、自律神経系の障害を生じさせ、生体に大きな損傷を与える。ナチス・ドイツにより化学兵器(毒ガス)として開発された経緯を持ち、1995年にオウム事件で悪用されたサリン、最近では毒入り餃子事件で話題になった農薬メタミドホスも、有機リン系の化学物質である。

 その一方で、この有機リンは、難燃剤やプラスチックの可そ剤などとして極めて優れた性質を持っており、プラスチック成型品、カーテンやソファーの布地、パソコンや家電製品のプリント基板など、身近なところにも多く使われている。つまり、われわれは、日常生活の中で無意識のうちに、有機リンの揮発物を微量ながら摂取し続けていることになる。

 人は1日に約20kgの空気を吸い込んでいる。この空気の中には、自動車の排気ガスや工場排煙に含まれるさまざまな成分、建材や家具から発生しているホルム・アルデヒドやトルエンなどシックハウスの原因物質、芳香剤や消臭剤、プラスチック用添加剤、接着剤・塗料、除草剤などに含まれる環境ホルモンや発がん物質など、実に数多くの化学物質が揮発物として存在している。これらが肺から血液に取り込まれ、肝臓で解毒される前に全身に運ばれている。

 また、化粧品、洗剤、食品などにも、人工香料、人工界面活性剤、柔軟剤、食品添加物、保存料、防腐剤など、おびただしい種類の化学物質が使われており、日常生活の中でこれらを毎日少量ながら、皮膚から、あるいは口から消化器官を通じて、継続して摂取していることになる。これもわずか半世紀で起きた生活環境の大きな変化である。

 われわれは口から入るものには神経を尖らせても、皮膚や呼吸を通じた吸収には比較的鈍感である。これは長い間、「皮膚や呼吸を通じて有害物が侵入してくる生活環境にいなかった」ゆえと考えられる。

 化学物質の安全性、特に微量の長期継続摂取による影響や、複数物質による相互作用についての確認は、残念ながらほとんどできていないのが実情である。 また、非常に多種の化学物質に取り巻かれている現状では、問題が発生していても、その因果関係を特定するのは極めて困難である。しかし明確に有害性が立証されない限り、経済性・便益性が優先されている。

ミツバチが大量死している

 現在の経済社会では、ミツバチは「蜜の収集・製造者」という位置付け以上に、農業における「受粉作業の担い手」としての重要度が高く、季節になれば農家への貸し出し、販売が行われている。イチゴ、トマト、キュウリ、リンゴなど、「果実」を収穫する植物の多くは、その花粉の媒介をミツバチに依存している。つまり、ミツバチなしでは農家経営は成り立たなくなり、われわれは果実を食べることができなくなる。 一方、自然界全般においても、ミツバチなどの昆虫がいなくなれば、風で花粉を飛ばして受粉する「風媒花」タイプの種を除いて、植物は繁殖や生存そのものが脅かされることになる。

 ミツバチは極めて組織的な行動を行う動物である。彼らの一族は、生殖活動だけを担う1匹の女王蜂と少数の雄蜂のほか、多数の働き蜂で構成される。働き蜂は、「卵や幼虫・さなぎの世話をする」グループ、彼らの大切な栄養源である「花粉や蜜を巣の中に運び、蓄え、管理する」グループ、「外へ出て蜜や花粉を集めてくる」グループと、3つの役割を分担し、1つの社会を形成している。

 さなぎから成虫になると、まず巣の中で子供の世話を担当し、次は食料の管理を行い、これらの内勤業務を卒業すると、蜜集めの外勤業務に移る。このグループ間のハチの数のバランスが崩れると、混乱や巣箱全体の能率低下を引き起こし、食料不足が起こったり、幼虫が育たないなど、群れの生存自体を脅かすことになる。

 ところが、いま、そのミツバチの世界に異変が起こっている。 先日、日本のイチゴ農家が、「花粉の受粉を行うミツバチが手に入らなくて困っている」という報道があった。しかし、 この現象は日本だけではない。2006年秋、「米国、欧州など、北半球で全体の4分の1に当たる300億匹のミツバチが消えた」という。現在もなお、この傾向は続いている。

 ハチは化学物質フェロモン(一種のホルモン)を分泌したり、体を使ってある図形を描いたりすることによって相互のミュニケーションを行っているが、米国におけるハチの大量死の原因を追ったドキュメンタリー『ハチはなぜ大量死したか』(R・ジェイコブセン=著/中里京子=訳/文藝春秋/2009年1月)によると、巣に戻れないハチ、コミュニケーションを取れないハチ、共同作業ができないハチが増えたほか、巣内の役割分担が崩れた結果、子供の面倒を十分に見られず、丈夫な成虫が育たないコロニーがあるなど、「ハチ社会の崩壊が起こっている」という。

 その原因として、著者は「携帯電話の電磁波」「遺伝子組み換え作物」「農薬」「ウイルス」「ダニ」「グローバル化による天敵侵入」「アーモンドの受粉のため季節外に働かされるストレス」「タンパク源である花粉や蜜の代わりに、砂糖水を与えられることによる栄養問題」「地球温暖化」「抗生物質」などを挙げているが、単一の原因だけではこの大量死を説明しきれないという。

 『ハチはなぜ大量死したか』では、次のような示唆がなされている。「非常に収益性が高い」という理由から、急速に増大したアーモンド栽培の受粉作業のため、巣箱の中で過ごすべき越冬時期に「遠隔地での重労働」という形で、人間の経済社会に組み込まれてしまった。そうした“本来の自然環境ならあり得なかった事態”が起こっている中で、「1億数千年の進化が作り上げた植物との共生に何かが起こり、ハチの社会が崩壊に面しているのではないか」──ハチの社会に、われわれ人間社会に迫り来る危機の写像を見る思いがする。

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