「想定外」から脱却できる、真の対策を何かがおかしいIT化の進め方(50)(2/3 ページ)

» 2011年04月07日 12時00分 公開
[公江義隆,@IT]

備えのための3つのポイント

“コンティンジェンシープラン”が不可欠

 多数の発電所が被害を受けた東京電力では、必要量の電力供給が困難になった。そして地震発生の翌々日――計画停電の実施前夜になって、首相からのメッセージに続き、東京電力と経済産業省からその説明がなされた。国民の多くは、「この非常事態下では停電自体はやむを得ない」との理解を示したが、発表が遅すぎた。せめて、「計画停電を行うが、具体的な内容は実施前夜に知らせる」とでも前もってアナウンスしておけば、その後の事態も多少は違ったはずだ。

 街は大混乱に陥った。自宅で人口呼吸器に命を預けて暮らす人々や病院から悲鳴が上がった。被災地域まで停電にして、茨城県、千葉県の知事の怒りを買った。こんなことにも気が回らないほど、自社内での作業に追われ、余裕をなくしていたのだろうか。配電系統の区域と行政区域の関連も把握できていない様子であった。最初に副社長が変電所や送電線を書いた絵を使って、電気が需要家にどのようにして届くかという技術的な説明をしたのは、「停電地域や対象を細かく分けることができない」という言い訳だと後から分かった。

 もし何もない白紙の状態から計画停電を決定し、2日半で準備をしたというのなら、それでもよくやったと言えるだろう。しかし、阪神淡路大震災後から、ライフラインを担う企業や国は「災害時の対応計画策定に万全を期す」と何度も言ってきた。最近でもBCPの策定は産業界の流行テーマの一つであった。電力会社の認可の条件には、「需要に対する供給責任」が法律で明示されている。電力供給は電力会社の存在理由そのものなのだ。その基本中の基本が危うくなる場合が「想定外」であったとは思いたくない。

 おそらく、本店のしかるべき部門には立派な「計画“書”」はあったであろう。しかし、厳しい言い方になるが、結果から見れば「計画」はなかったことになる。これは大きな組織で作る計画や、管理層やコンサルタントが中心になって作る計画などにありがちなことだ。ある企業には、現場スタッフが中心になって作った「本番用計画」と、本社スタッフが作った“立派な”(経営層への)「提出用計画書」があるという話を耳にしたことがある(もちろん、後者は状況変化に応じてメンテナンスされることはない)。

 ここであらためて訴えたいのは、「想定通りの災害が発生することはまずない。そのときの内外の状況も千差万別だ」ということだ。災害を詳細に想定すればするほど、実際に発生したときの状況との差が大きくなるし、マニュアルの内容を詳細にすればするほど、実際にやるべき作業内容との乖離(かいり)が拡大し、役に立たないものになってしまう。

 すなわち、BCPという聞き心地の良い言葉や、その立案のハウツーに飛びついて、机上の論理で非常事態を想定し、必要な対処方法を論理的に詰め、それを詳細に記述した立派な計画書やマニュアルは作れても、それは現実に機能するものには、なかなかならない。BCP以前に、本当に必要なのは、コンティンジェンシープラン(不測事態対応計画)――「不測の事態」「想定していない事態」に対応するためには、何をどう準備するのかを考えておくことなのである。

 災害対策の真のポイントは「人の能力の育成と訓練」である。実際に起こった状況を前にして、「不完全な情報の中から全体を把握する想像力」「具体的に対策を考え出す創造力や応用力」「不確実な情報の下で、タイミングを失することなく、やるべきことを決め、実行する決断力、実行力」「周りの人を適切に動かす統率力」などが大切になる。端的に言えば、できるだけ多くの人が、少しでも「火事場で知恵が出せる」「その場でやることを決める」「実行する」「その覚悟ができる」ように育て、訓練しておくことに尽きる。

 ただし、ことが起きたとき、手元に何もないのはつらい。マニュアルは頼れるものではなくても、よりどころとして必要である(航空機のパイロットなどは操縦マニュアルを黒い鞄に詰めて持ち歩いている。)()。


注: 事業・業務の内容、条件、周囲の事業・組織との関連、場合によっては関連する法律のポイントなども含めて、“有事に備えた基礎知識”として、それらの詳細を資料にまとめておくことは必要だ。また、万一の際、「“平常時の正規組織ではない集団”の指揮を、誰が、どのように取るのか」についての、シンプルかつ誰にでも分かるルールを策定しておいたり、「必要なことは何でもやれ。ただし、何があっても、これだけはやってはいけない」くらいのことは、はっきりさせておくことが必須である(「やっても良いこと」を決めるのは無意味である。その点、日本の法律や条令で決められている事の大半は「やっても良いこと」ことだろう。役人はここに決められていることしかできない。臨機応変の対応ができない背景だ)。


 なお、マニュアル作りの検討作業は、これらの能力育成の場になる。また、実際にそれを使う局面になったときには、直感や反射的反応が必要になるが、これには(本気での)訓練の繰り返しが必要だ。こうした検討結果や訓練の実行結果を反省しながら、「もし、あのときに○○ していれば……」といった意見を交換したり、既存のマニュアルを見直したりしていれば、以上の太字で示したさまざまな能力向上に役立つはずだ。

「経済効率とリスクのバランス」は覚悟の問題

 万一のための備え、二つめのポイントは「経済効率とリスクのバランスをどう考えておくか」だ。例えば3月29日現在、自動車をはじめ、多くの製造業では部品の調達ができず、事業を長期に中断している。関西でも、鉄道は補修用部品の入手が懸念されるとの理由で、運転ダイヤの間引きを始めた。これらは「日常の経済効率と非常時のリスクのバランス」の問題である。

 購入先を絞って大量発注(相手は大量生産)する方式は、互いに効率メリットがあるWINWINの関係にはなるが、共倒れのリスクも抱えることになる。「手持ち在庫をどの程度持つか」「工場を集中させるか/海外数カ国にまで分散させるか」といった問題も同じだ。これらは、そうした結果、万一の際に起こり得る事態に対して、“覚悟ができる範囲か否か”という問題だ。

一つ一つのリスク要素は外でつながっている

 最後にもう一つ、リスク評価には、「複数のリスク要素について、それぞれの発生確率を掛け算して評価を行う」という方法がよく採られる。例えば、故障の発生確率性1/100の非常用ディーゼル発電機を4機並べれば、4機とも故障する確率は1億分の1――生きている間にはまず起こりそうもない確率になる。

 これは自分を中心に置き、自分以外の各要素は“独立して存在する”という条件によって成り立つ考え方だ。しかし、現実には多くの場合、「自分以外の各要素」は外から見れば関連している場合が多い。どの分野でも、特に最近はその傾向が強くなったと思う。

 例えば、金融機関は「預金者保護」という名目で保険に入っているが、この保険は「一つの銀行が倒れたときには、健全な他の金融機関でカバーする」という考え方で成立している。しかし、リーマンショックの際には、一つの銀行が倒れたときには、回りの銀行も全て健全ではなくなっていた。瞬時に業界全体がガタガタになった。米国の問題が瞬く間に世界に広がった。諸外国も同じようなことをやっていたからだ。ひと昔前とは世の中の構造が変わっていた。

 病人だらけの後期高齢者だけを集めた仕組みは、少なくとも保険としては成り立たない。雲の上へ4本5本とバックアップ回線を引いたつもりでも、雲の中でサーバ同士がつながっていれば、一発の雷で全滅する。

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 原子力発電所の事故でも、「もし、大津波が来れば」という発想をしたり、「それでも、もし来たら」といった具合にしつこく議論していれば、何かに気付いていたかもしれない。そんな余計なことは考えなくても良いという環境だったのかも知れない。

 いま、企業においてBCPの見直しをしようとしている方は、視野を広め、発想を柔軟にして、コンティンジェンシープランとしての見直しを考えてみてほしい――「世の中、何が起こるか分かりまへんで」。

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