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コラム
» 2008年08月18日 08時30分 公開

小寺信良の現象試考:自分の意志とコピペの間にそびえ立つ壁 (2/3)

[小寺信良,ITmedia]

 現在著作権特区のような扱いになっているMADは、誰かの音楽と何かの映像を合致させたものである。下地になっている作品は映像と音楽の2つしかなく、あとはそれをつむぎ合わせる編集の技術的問題だけだ。作品の製造工程としては、まあ編集はそれなりに根気がいるだろうが、職業編集者だった筆者からみれば、技術的部分に関しては特に見るべきものはない。

 しかしMADに与えられる評価は、異質の2つを合体させる「技術」に対して与えられるものではない。性質の異なる作品を選んできたセンスと、既存作品中のどこを選択してどこにどう貼り付けたかという、コピペの妙によって生み出された落差が、新しい価値として評価されている。

 これはある意味、映像の「編集技術」ではなく、「編集行為」が脚光を浴びた、日本で初めての例ではないかと思う。商業映像コンテンツの編集マンの仕事は、素材となる映像は常に新規の撮影物であるという点がMADとの最大の相違点だが、どこをどう切り取ってどういう順番で貼り付けるかという行為は、それほど大きく変わるものではない。言うなれば編集マンは、職業コピペ野郎なのである。そして日本では過去、「一般人も知るほどの編集のスタープレーヤー」というのが存在したことはなかった。

 MADを中心としたムーブメントは、著作権で握りつぶされなければ、コピペを使った新しい映像表現として生き残るだろう。

コピペと似て非なるもの

 大学のリポートも、MAD的な手法であったら、それはコピペと非難されただろうか。つまりコピペが怒られるのは、コピーする対象さえよく吟味せずに、全文まるまるコピペするからである。だから逆にコピペ部分をどんどん細かく刻んでいって、沢山の論文の中から少しずつ少しずつ切り取って極限まで細かくいったら、それはもうほとんどオリジナルのリポートと呼べるのではないか。もちろんトータルで読んだときにつじつまが合っていなければならないが、それはもう編集テクニックの問題である。

 そしてそんなことが可能なぐらいその素材を深く理解しているなら、もう自分でも文章を書いた方が早いぐらいに成長しているとも言える。要はキーボードを自分でタイプしたか、和文タイプのように活字を拾って埋めていったかという、入力手法の違いぐらいしかないことになる。

 MIAU(インターネット先進ユーザーの会)では過去、ダウンロード違法化に関するパブリックコメント提出を助けるために、本文の素材を提供したことがある。またこれを延長して、もっとフレキシブルに自分の意見がカスタマイズできるよう、「パブコメジェネレータ」を作って公開した。

 MIAUのスタンスとしては、ダウンロード違法化には反対の立場だったので、ジェネレータをわざわざ賛成意見も提出できるような作りにする必要があるのかどうか、内部でも議論が分かれた。だが大前提として、まずはパブコメ提出の敷居を下げることから始めるべきで、それは結果的にネットの意見を実社会に送るという大きな目的に適うはず、ということになった。

 普通ならばまず提出する機会もないであろう「パブリックコメント」というものを、どのようなフォーマットで、またどのような文体で出せばいいのか分からなかった人は多かったろう。本来はこのアウトプットを利用して、自分の意見を書く手助けとしてもらうのが目的だったわけだが、実際にはジェネレータの文章そのままで提出した人も多かったようである。

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