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» 2007年12月25日 08時57分 公開

KYなリーダー、福田首相

福田首相の支持率が急落している。自民党のほとんどの派閥推薦を受けて登場した福田首相が国民に支持されないのはなぜなのか? 日本という国が今後どう生き残っていくか、その瀬戸際に立っている今、必要なのは「もの言うリーダー」のはずなのだが……。

[藤田正美,Business Media 誠]

 福田康夫首相の支持率が急落している。それがなぜか、分かっていないのは福田首相自身と町村信孝官房長官だろうか。年金記録の名寄せが来年3月までに終わらないことを受け、福田首相はこう記者団に答えた。「公約違反というほど大げさなことかなぁ」。さらに「公約で何と言っていたか思い出せなかった」と弁解し、恥の上塗りをした。

薬害肝炎訴訟問題の“和解案”

 こうした発言があって内閣支持率は10ポイントも下がったのだから、何らかの挽回策を出すのかと思っていた。実際、挽回するチャンスが目の前に転がってきたのだ。いわゆる薬害肝炎訴訟である。

 原告団は薬の投与時期で補償する患者の線引きをすべきではないと主張して、総理の政治決断を求めたのに、国は結局、線引きを維持しつつ実質全員救済という和解案を持ち出し、原告団に蹴られたのである。そして議員立法で全員一律救済をするという「総理の決断」による「全面撤退」で幕引きを図らざるをえなくなった。

 この幕引きで福田内閣の支持率が上がるわけではあるまい。リーダーシップが求められているときにリーダーシップを発揮できなければ、最後は追い込まれての決断であって、それで求心力を強めることにはつながらないからである。福田総理が分かっていないのがこの点なのだ。最近の流行り言葉で言えば、KYすなわち「空気が読めない」首相ということだ。

「私が立つと一度でも言いましたか」

 安倍首相がいきなり政権を放り出したので福田首相にお鉢が回ってきたのだが、そこで引き受けたこと自体がもともとKYだったのかもしれない。その1年前、小泉首相の後継者選びのときは、結局、総裁選に立つことすらしなかった。記者団に「私が立つと一度でも言いましたか」などと気色ばむ様子は、「勝てない勝負はしない人」という感じを与えたものである。それですっかり出番がなくなったと思ったら、いきなり自民党のほとんどの派閥から推薦を受けて登場したのだから、国民はびっくりである。つまり、福田氏が登場する必然性が国民にはまったく見えないということだ。

 そうやって登場した福田氏が、改革路線を引き継ぐといっても誰も信用しない。自民党のほとんどの派閥推薦を受けるということは、改革路線を引き継がないという前提なしにできないことだろう。その証左に、道路特定財源の一般財源化については、結局、道路族に押し切られた形となった。渡辺喜美行政改革担当相が孤軍奮闘しているように見える独立行政法人改革でも、結局、総理(というか官邸)の裁定は、わずか千数百億円の節約にしかならない一部独立行政法人(独法)の整理統廃合である。

 本来的に、独法を統廃合せよと言っても、官僚はやりたがらないのが普通である。独法にしてもそれが自分たちの権力の基盤であり、天下り先であると思えば、それをなくすなどということはしたくない。強引に独法改廃を行うなら、それこそ総理の強いリーダーシップとそれを実行する部隊が必要である。小泉首相と竹中大臣のコンビがなければ、郵政民営化は実現しなかっただろう。国民が望んでいた(2005年の総選挙の結果から見れば、国民は郵政民営化を望んでいたのである)としても、民営化のプランそのものが提案されなかったはずだ。このときももちろん官僚の抵抗はすごかったが、抵抗する官僚は外されていったのである。

福田内閣に、抵抗する官僚を外してまで改革を行う必然性はない

 小泉総理と違って、福田内閣はいつまで政権の座にいるか分からない。第一、当初は12月16日に総選挙などという話があったぐらいなのである。一時は洞爺湖サミットまでは福田内閣でという声もあったが、支持率が急落してしかも新給油法案を衆議院の3分の2で再可決という事態になれば、何が起こってもおかしくはない。

 そのような内閣が独法改革という官僚の権力基盤を切り崩すような改革を行おうとしても、官僚が動くはずはない。頭を低く下げて風を避けていれば、やがてその内閣は変わるかもしれない。そういう状況では、独法の統廃合など進むはずもなかった。渡辺大臣が騒ぐからある程度の“お土産”を持たせたということにすぎないのである。

“やっぱり変われない日本”でいいのか?

 一昔前なら日本人は、福田首相のようなリーダーを国民は受け入れたかもしれない。経済は右肩上がりで誰がやってもまあそこそこにうまくいくだろうし、そういった時には総理があまりはっきりした物言いをしなくても気にはならないからだ。しかし今は違う。日本という国がどうやったら生き残っていけるのか、我々はその岐路に立っているからである。その意味で小泉内閣が2001年という21世紀の始まりの年に成立したのは、象徴的であったかもしれない。「日本もようやく変わるのか」と外国も思っただろう。しかし抽象的なことしか言わなかった安倍首相、何も言わない福田首相と、日本のリーダーの顔は再び見えなくなりつつある。

 このまま行けば、“やっぱり変われない日本”という評価が定着するだろう。その前に何とかこの状況を打開しないと、日本の将来はより重苦しいものになる。残されている時間はそうは長くはない。

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