北京で感じた“メディアリテラシーの高さ”はどこから来ているのか保田隆明の時事日想

» 2008年04月03日 12時26分 公開
[保田隆明,Business Media 誠]

著者プロフィール:保田隆明

やわらか系エコノミスト。外資系投資銀行2社で企業のM&A、企業財務戦略アドバイザリーを経たのち、起業し日本で3番目のSNSサイト「トモモト」を運営(現在は閉鎖)。その後ベンチャーキャピタル業を経て、現在はワクワク経済研究所代表として、日本のビジネスパーソンのビジネスリテラシー向上を目指し、経済、金融について柔らかく解説している。主な著書は「実況LIVE 企業ファイナンス入門講座」「投資銀行時代、ニッポン企業の何が変わったのか?」「M&A時代 企業価値のホントの考え方」「なぜ株式投資はもうからないのか」「投資銀行青春白書」など。日本テレビやラジオNikkeiではビジネストレンドの番組を担当。ITmedia Anchordeskでは、IT&ネット分野の金融・経済コラムを連載中。公式サイト:http://wkwk.tv/ブログ:http://wkwk.tv/chou


 先週のコラムで、北京を取材訪問した際の第一印象について書いたが(参照記事)、今回は中国国内での報道に関する話題を。

チベット問題は中国国内で報じられていない?

 北京では、取材先とのアポ設定、通訳としての取材同行などを現地のコーディネーターにお願いした。コーディネーターは日本人と中国人の混成チームで、数日経って少し親密になってきたころ、「ところでチベット問題って中国国内ではどういう扱いになっているんでしょうか?」と日本人のスタッフに聞いてみた。「国内ではあまり報道されませんしよく分からないんです。ただ、チベットに住んでいる友人から少し聞いた話によると、あまり良くないみたいですね」という返答だった。人々の関心はどうなのかと聞いてみたところ、「私たちもあまり話題にしないんですよ。特に我々のように日々仕事で外国の人と接している人間の場合はいつどこで盗聴されているかも分かりませんしね」という。

 そういう相手の事情を事前に察することなく、無神経な質問をしてしまったと自責の念に駆られたと同時に、「いつどこで盗聴されているかも分からない」というセリフがサラリと出てきたことには少なからず驚いた。日本にいるとなかなかそういう感覚はわかない。

 不動産関連企業を訪問した際のことだ。「不動産バブルが起こっていると言う人もいるがどう思うか?」と何人かの人に聞いたが、「バブルだとは思っていないし今後も急激ではなくとも持続的に成長は続くと思う」という内容の回答ばかりだった。ただ、どこか顔の表情は複雑で、言葉では「順調だ」と答えても、内心は当事者が一番不安に思っているのではないだろうか、と勘ぐったぐらいである。盗聴まではされないにしても、国の将来に対する不安や不満をメディアに対して話すこと自体がタブーな雰囲気を感じた。

日本のメディア&世論は……

 日本に戻った後に新聞を開くと、毎日のように日本政府の無策ぶりを嘆き、非難・糾弾する論調で書かれた記事のオンパレード。国に関することになると、どこか遠慮しがちにモノを言っていた北京の人達とは非常に対照的である。

 これを、日本には言論の自由があるからだと喜ぶべきなのか、主要新聞が揃って無策だとこき下ろす政府に国の将来を委ねなくてはいけない現状を嘆くべきなのか、それは分からない。確かに、日本では言論の自由が保障されているからメディアは自由に報道できるし、人の発言内容は誰かから圧力のかかった結果ではないという前提がある。しかしそれだけに、日本では国民がメディアの言うことを鵜呑みにしがちな傾向があるように思うのだ。

 中国のように、国によるメディア統制が敷かれていると、国民はメディアの報道内容に対して「これは本当だろうか?」と考える習慣がつくのではないだろうか。本当は違うかもしれないと思いながら、自分の中で咀嚼するため、発言する際も奥歯にモノがはさまったような物言いになる。

メディアはウソも報道する

 日本の識者と呼ばれる人たちの話を聞くと――彼らはメディアに報じられる立場なわけだが――「メディアは事実とは違うデタラメなことばかり報道する」という声が多い。例えば、先日読んだ「構造改革の真実 竹中平蔵大臣日誌」の中でも、メディアはあてにならないということが書かれていた。しかし、そんなあてにならない情報の多くを、我々日本人の多くは信じているわけである。

 北京で様々な人たちに会って中国国内事情についてインタビューするにつれ、報道が規制されている方が本質は何かを考える癖がつくのではないかと思うようになった。こちらの方が、メディアリテラシーの向上が期待できる。それは結果としての産物にすぎないし、もちろん言論の自由の下、圧力がかけられることなく発言できる日本が悪いと言っているわけではない。しかし、ともすれば議論の方向が一辺倒になりがちな日本において、今最も求められているのは、国民のメディアに対するリテラシーの向上ではないかと思う。帰国後に政府批判一辺倒な日本のメディアを見て、特にそういう思いを強くしたのだ。

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