インタビュー
» 2008年11月21日 20時10分 公開

あなたの隣のプロフェッショナル:製薬会社を辞め、銀座でバーを開いた理由――阿部佳則氏(後編) (2/4)

[嶋田淑之,Business Media 誠]

 「理科2類から農学部獣医学科に進学した後(3年次)、夏休みに1カ月間、北海道の牧場に住み込みで働かせてもらいました。当時、私は牛馬の獣医を目指していたのですが、牛馬というのは産業動物であるがゆえに、コスト面で合わないと治療ができず、安楽死せざるを得ない現実を目の当たりにしたんです。

 それと同時に、人間用の薬が多数、動物に使われていることを知り、『一頭一頭を自分の手で救えなくても、安価で良質な薬を世に出すことで、多くの動物を救えるのではないか』と考えたんです」

 こうして阿部さんは、進路を臨床希望から軌道修正し、獣医薬理学研究室に入る。研究テーマは「血管平滑筋の収縮機構について」だったという。

製薬メーカーのビジネスマンとして東奔西走

 獣医師の国家試験にも合格し、充実した学生生活を終えた阿部さんは、1996年に第一製薬(現・第一三共)に入社する。「入社後半年間、営業の同期とともに御殿場での合宿研修を受けた後、私は、臨床開発(治験)の仕事に就きました」

 具体的には、研究所で創製された新薬の卵(治験薬)を、全国の有力病院の医師に実際に使ってもらい、その効果や安全性に関するデータを集める仕事だ。

 「出張に次ぐ出張の日々でしたね。自分がほれ込んだ薬の魅力を伝え、先生方の協力を得て、困っている患者さんたちのために新しい薬を世に出してゆく仕事なので、楽しかったですよ。ただ、日常診療で忙しい先生方に、治験のために余計な時間を割いてもらう必要があるので、画期的な新薬でない場合には、『こいつのためならやってやろう!』と思っていただけないと仕事が進みません」

 そのために、どういった努力をしたのだろうか?「先生の性格や好み、ニーズを把握して、それに応じた推進策を講ずるということに尽きますが、お陰様で、多くの先生方のご協力を頂戴して、3つの薬の新規効能取得に貢献することができました」

 こうして阿部さんは、11年間に及ぶ東奔西走の日々を送った。現場が好きで、人と接するのが好きな阿部さんにとっては、仕事は忙しくとも非常に充実した人生だったろう。

 しかし、大企業のピラミッド構造の中で、彼の立場も徐々に変容してゆく。「2004年ごろから、だんだんデスクワークの比率が増えてきたんです。プロジェクトのサブリーダーになるなど、マネジメント業務が中心になってくると、それまでのように自分の担当病院が持てなくなり、『現場で働いている』という実感が得られなくなってきました」

周囲の猛反対を乗り越えて退職、バー開店へ

シェーカーを振ってカクテルを作る

 そんな日々、阿部さんは「バーをやりたいな……」と思うようになる。

 「仕事や職場のストレスから体調を崩す知り合いを多数見るようになり、そんな人たちのガス抜きの場を提供でき、現場感覚を定年なく一生感じられる仕事として、バーというのは魅力的だなと感じたんです」

 しかし、親戚や友人などにそういう仕事の人がいれば別だが、普通の勤め人としての人生しか知らない人にとっては、水商売というのはあまりに縁遠く、未知の要素が多過ぎる。当然、家族からは猛反対された。「親からは勘当すると言われ、妻からは離婚すると言われました」(苦笑)

 「子は鎹(かすがい)」と言われる。一粒種のお嬢さん(当時5歳)が、「パパと離れたくない!」とすがったおかげで、離婚の危機を脱したそうだ。

 ちょうどそのころ、阿部さんの勤務先の第一製薬は、三共と経営統合することが決まり、早期希望退職を募り始めていた。お店をオープンするために必要となる資金面の手当てを考えても、今が辞めるべきタイミングだと思えた。

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