「発車メロディとしては、私の音はかなりゴージャスです。理由? だってその方が楽しいから(笑)。いま、ほとんどの駅で採用されている発車メロディは、電子音のシングルトーンです。オーケストレーションがない。だから単純でつまらない音になっている。もっとも、これはメロディを流す音響装置が古いせいで、複雑な音を再現できないからという事情もあります。でも設備の更新に伴って、改善は進んでいます。だから(自分が作る発車メロディでは)、できるだけいろんな音を出したい」
京阪電鉄の発車メロディでは、ホームで使っている機器と同じ機器を用意して、作った曲を試聴したという。そこから曲の修正をかけていく。低音が割れないか、高音が耳障りに聞こえないか。
「こんなに中音域を厚く作っても意味がないな、とかね。同じ路線の駅でもいろいろなスピーカーがあるので、最大公約数でここまで大丈夫、という音を研究しています。車内放送も含めて、ここまで作り込んでも大丈夫だな、というところで作っています」
京阪電鉄のプレスリリースによると、今回の発車メロディについて「駅を、通勤や通学、レジャーなど“生活の1シーン”ととらえ、これまでの発車メロディが目的としていた乗車督促とは一線を画し、一歩リードした駅環境の実現をめざしています」とある(プレスリリース、PDF)。確かに向谷氏の発車メロディは、聞いていて心地よい。
「発車メロディはシンセサイザーなど電子楽器で作ります。ただし電子音に頼らずに、なるべく生音を取り込み、手弾きの部分を多くしています。人間が聴くんだから、もっと人間の感性を大事にしたいと考えているためです」
人が心地よく聞ける音作り。それはおそらく、向谷氏の音楽制作すべてにわたる基本の考え方だろう。多くのファンに支持された、音楽のプロの言葉である。
「シーケンサーを使うと、完全な16分音符、完全な音階、音量、音の長さで作曲できます。だけど、僕の曲は人間が弾いた音を使うから、それぞれの要素がちょっとずつ違う。できるだけ自分の感性を信じます。バックではカチッとさせているところもありますが、メロディの演奏は手でやります。そこが機械任せで作った発車メロディとの大きな違いです。音楽用語では『テンポ・ルバート』というんですが、テンポを変えているんですね。例えば京阪電鉄の曲では、快速急行と特急に復活した車内放送前の音、京都行きの上りがそうです。まさに手弾きの良さがでています」
人は何かを作る時に、論理的に整合性のある結果を求めたがる。音楽作りでも、完全なリズム、完全な音階を志向する。そのほうが論理的だからだ。しかし、人間の感性はそんなカチッとしたものに対して、無意識に違和感を覚えてしまう。向谷氏の言うルバートによって、耳に優しい発車メロディができあがる。
しかし、これらの要素をすべて実現させるには発車メロディは短すぎないだろうか。向谷氏が普段作る楽曲とは違った難しさがあると思うのだが。
「短くても表現できますよ。数秒あれば十分です。音楽はいろんな要素の集合体だから、1小節、2小節でも十分に表現できるんです。1曲の長い短いに、作り方の差異はほとんどないですね」
では逆に、発車メロディという短い曲作りをする上で面白かったこともあるだろうか。
「それはもう、僕の考え方を鉄道会社が認めてくれたことが嬉しいし、面白かった(笑)」
発車メロディの起源は発車ベルである。安全面、ダイヤ維持、扉が閉まる、列車が動く、それらについて、お客様に注意を促す音でなくてはいけない。聞き心地が良すぎても役に立たないのではないか。どちらかというと実用面を重視しており、今までの作曲家が音楽ファンに向けて作ってきた音楽とは違うのではないか。
「うーん、(注意喚起という意味での実用性重視について)そういう時代は終わっていると思う。例えば、JR東日本には音楽的な要素を重視した発車メロディもありますよね。高田馬場駅は鉄腕アトム、蒲田駅は蒲田行進曲などを流しています。今までの仕事で鉄道会社といろいろお付き合いしてきて、鉄道会社はコンテンツホルダーとしての感覚を持たれてきたと感じます。
もう鉄道会社は輸送サービスだけでは立ち行かなくなってきて、不動産とか商業施設とか、鉄道以外の収益のほうが多いという会社もいっぱいある。業態が多様化しているんです。そして絶対的な労働人口は頭打ちになって増えない。少子高齢化とかで、今後、鉄道を利用する人は減ってくる。そうすると鉄道事業はお客様に対するサービスとして『鉄道に乗ったらこんなに楽しかったよ、面白かったよ』というエンターテインメント性、鉄道の旅や意匠などのコンテンツを重視したい(と考えるようになる)。その流れに私の発車メロディはピッタリだったのかな、と思います」
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