廃線の危機を脱するアイデアとは?――ある第三セクターの再生物語近距離交通特集(3/5 ページ)

» 2009年02月13日 07時00分 公開
[杉山淳一,Business Media 誠]

市民の意識改革のために

 市民のマイレール意識を高めるために、中川市長は2つの施策を行った。1つは市民からの「ボランティア取締役制度」。もう1つは「ボランティア駅長制度」だ。無人駅の6駅に無給の駅長を任命し、市民と北条鉄道との橋渡し役になってもらう。これは鉄道の新しい存在意義を見いだしたとして、2006年の「新日本様式百選」に選ばれた。

 「ボランティア駅長制度は、まず地域の人々に北条鉄道を認知してもらいたかったから始めました。それまで(北条鉄道)は『あの線路って列車が走ってるの?』というくらいの存在でした。私が就任した当時は『どうせ赤字だからつぶれるよ。乗ったら危ないかもよ』なんていう噂もありました。『中川は民間出身の改革派の市長だから、いずれリストラするだろう』という声もあった。

 でも、私の本業はこういう事業を立て直すことです。改革を実現すれば、市民も市役所改革に理解を示してくれるという思いもあった。それと、北条鉄道の中間駅にはほとんど駅舎と呼べるものがない。待合所くらいですよね。駅舎がないから、逆張りの発想で駅長を公募しました。駅長には“北条鉄道株式会社○○駅長”という名刺を進呈しました。それを渡すだけでも、“現役を退き、元気で何か社会参画したい人”などには効果があると思いました」

 実際は応募者に地元の市民は少なく、鉄道好きが多かった。前編で紹介したように、長野在住の鉄道ファンや大阪のお坊さんが就任している。応募条件を市民に限定しなかったからだ。だが、それが話題作りに役立った。地元の人々しか知らない、地味な存在だった北条鉄道が全国の注目を集めた。そして、遠方から通う駅長と市民との交流が始まった。北条鉄道の無人駅は、無人のはずなのにどの駅もきれいだ。

 「うれしいことに、ボランティア駅長が駅を手入れすると、付近の住民の皆さんも何かしようと思ってくださる。法華口駅は5年前の台風で屋根が飛んでしまい、2年ほどブルーシートを張ったままでした。そんな時に市民のご婦人から『駅がいつまでもあんな状態では寂しい。寄付しますから修理してください』と10万円が届いたのです。それが新聞に載りましてね。そこで、市民の皆さんが集まって、2008年の春にふき替えたのです。

 昔は『北条鉄道なんて元気のない人が乗るもんだ』というネガティブなイメージがあったようです。でも、北条鉄道に対する関心が市の内外で高まってきた。今では市民が北条鉄道に対して誇りを持っている。北条鉄道に乗ることがファッションになりつつあります。本当にうれしいことです」

北条町駅舎。鉄道に必要な機能は1階事務室に集約させ、2階は増収策として民間(英語塾)に貸し出している

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