「ひと言でいうと“タフ”」――伊東孝紳氏のホンダ社長内定会見を(ほぼ)完全収録(2/3 ページ)

» 2009年02月24日 01時00分 公開
[堀内彰宏,Business Media 誠]

一言で表現すると「タフ」

 本田技術研究所社長を務めた伊東孝紳専務は、早くから将来の社長候補と目されていた人物。しかし、この厳しい状況下でバトンタッチする背景には何があるのか。報道陣からは数多くの質問が投げかけられた。

東京・青山のホンダ本社

――社長交代を決断された最大の理由は何ですか?

福井 企業の永続性(を保つため)には内部の人間、とりわけ経営陣の世代交代は非常に重要であるという観点からです。私は6年(社長職に)いたことになりますが、数年で世代交代していくことが企業の永続性にとって非常に重要であると思っております。

――伊東さんに社長就任の旨をお伝えになったのはいつごろで、どういうお言葉をかけられたのでしょうか?

福井 「いつ話すのがいいか」といろいろ考えたのですが、「正月休みにゆっくり考えた方がいいな」と思って、正月休みに入る直前に「そろそろ交代の時期だよ」と話しました。

――社長就任を依頼されての率直な感想は?

伊東 「非常に光栄だな」というのが47%、「大変になりそうだ」というのが53%ぐらいで、満面笑みということではございませんでした。正月休みに考えて、「もし(社長を)やれるんだったら、これはやりがいのある仕事だ」ということでお受けしました。

――伊東さんを新社長に選ばれた最大の理由を教えてください。

福井 ホンダの社長というのはやっぱりクルマとか、二輪車とかがまず好きでないとダメなんですよね。そういうことが1つ。あとは現場を大事にする気持ち。あと何と言ってもバイタリティ、これは心身共に。そして、行動力と決断力ということだと思います。

――伊東さんをひと言で表現すると。

福井 ひと言でいうと「タフ」ですね。

――この経済危機の中で引き継いでいいのかという迷いはなかったのでしょうか?

福井 2008年11月以降の非常に厳しい状況というのは、この社長交代に関しては想定外でした。ということは、その前にある程度方向を決めていたわけですが。

 正直迷いましたが、かなりの方向性の判断は(すでに)させていただきましたし、むしろこの厳しい時期を乗り越えた後の加速力、企業の成長性みたいなことを考えると、「このタイミングはむしろいいのではないか」ということで判断をいたしました。

――福井さんは取締役相談役ということで取締役にとどまられますが、今後の経営にどのような形で参画されますか?

福井 ホンダにおける取締役相談役の役割、基本的にはあまりございません。ホンダは現在は会長がいますが、社長経験者が会長になるわけではございません。常時(会長が)いるとは限らない経営体制をとっていますから、少なくとも経営の継続性という観点での役割は取締役の一員として担うのかなと思っています。現吉野相談役もそのような立場で仕事されています。

――伊東さんが本田技術研究所の社長も兼務される狙いを教えてください。

福井 研究所の兼務につきましては、(本田技術)研究所とホンダ本社との2つが別会社形体をとっていることで、価値観が違ったり、判断基準が違ったりすることが、長期的にはホンダのために良いと思います。しかし現下の厳しい情勢で、直近の1、2年を何としても切り抜けるためには、即断即決、スピーディな経営判断、コンパクトな経営陣というのが非常に重要であるという風に思い、今回は兼務ということにいたしました。

本田技術研究所

スーパーカブを越えるスーパーカブを作りたかった

――6年間社長を務めていて最も大きな喜びを感じたこと、また最も大きな決断は何だったでしょうか?

福井 うれしかったことはいくつかありますが、直近の印象深かったことと言えば、インサイトの発表会です。6年間で相当(たくさんの)新車の発表会に出席しましたが、あれほどメディアの方の関心が高かった発表会はなかったですね。これは喜びとは違うのかもしれませんが、印象深い発表会だったと思います。これはインサイトだけに終わるのではなくて、毎年のように二の矢、三の矢というように立て続けに出していくことが非常に重要だと再認識しております。

 いろいろ決断をしなければいけない立場ですから、6年間で数多くの決断をしました。HondaJetの事業化のように新しい事業に入る決断は非常に大きくはありますが、直近の大きな決断というとやはりF1撤退の決断だったと思います。

――やり残したことを1つだけ挙げるとしたら何ですか?

福井 難しい、いっぱいあるのです、やり残したことは。山ほどあるのです。1つだけと言うと難しいですが、例えば「スーパーカブを超えるスーパーカブを作りたい」というのは、ずっとやっていてできないままです。これは永遠のテーマかもしれませんが。

――退任する6月までにやっておきたいことは?

福井 いくつかあるのでしょうが、株主総会で減益や減配などの理由を説明して、(株主に)ご理解していただくということが私の仕事だと考えています。

愛車はXR250R

――伊東さんがホンダに入社された動機を教えてください。

伊東 私は学生時代に飛行機の勉強をしていて、「飛行機関係の仕事ができる会社に入れればいいな」と(思って)、友達といろいろ回っていた時期がありました。その時期に、当時原宿に本社があったホンダで、人事の方とお茶を飲みながらお話をしていた時に、もともと二輪も好きだったのでホンダに興味があったのですが、「うちの会社、飛行機作るかもしれないよ」と人事の方がおっしゃって、「二輪も好きだし、飛行機もやれるかもしれない。こんないい会社はない」と思ったのがきっかけです。

――クルマ好きということですが、伊東さんの愛車のヒストリーを教えてください。

伊東氏の愛車XR250R(出典:ホンダ)

伊東 全部言ったら切りがないのですが、二輪で言いますと、幸いなことにカブから始まりまして、次にSL125、XL250、それからDream(50R)に乗って、次に浜松方面の楽器もやっている会社のクルマに一時乗って、その後またホンダに戻って2〜3個乗って、今はXR250Rという究極の通勤に優れたクルマに乗っています。

 四輪では。これもまた幸いなことにN360から始まりました。私はガソリンスタンドでずっとアルバイトをやっていたのですが、そのご縁でいろんなクルマに乗ったり、持ったりすることができまして、N360を確か1万円ほどで譲り受けて、すばらしいクルマだと感激しました。その後、名古屋地区の(会社の)クルマだったり、広島地区の(会社の)クルマだったり、浜松の今度は楽器を作っていない会社のクルマだったり、さまざま乗りまして、これも数え上げたら切りがありません。

――創業者の本田宗一郎さんとはどのように関わられましたか?

伊東 本田宗一郎さんとは、入社当時に会っています。(本田さんは社長を)退任された後も、和光研究所によく来ていて通りすがりに話しかけられたのですが、私は本田宗一郎さんと認識しておりませんでした。赤いちゃんちゃんこを着たおじいさんが話してきたなという印象でした。

 きちんと話したのは私が「NSX」というマシンのアルミボディを開発している時で、アルミボディを前にしながら(本田さんが)、「アルミボディか、すげえな」「俺にはできねえな」と言っていたのが印象的でした。「そんなわけはない」と思うのですが。

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