ロックギタリストはなぜ、音楽サイトの編集長になったのか(後編)――BARKS編集長・烏丸哲也さん嶋田淑之の「この人に逢いたい!」(4/6 ページ)

» 2009年04月18日 11時15分 公開
[嶋田淑之,Business Media 誠]

バンド脱退のワケとは?……そして音楽出版の道へ転身

 1989年、烏丸さんはT.V.を脱退する。そこには一体、どんな事情があったのだろうか?

 「プロデビュー後、いろんなアーチストと出逢いました。そして業界には、本当に凄い人がいっぱいいる、ということを思い知ったんです。努力だけではどうしようもないものがある、彼らには神からの授かり物(天賦の才能)があるっていうことに気づいたんですよ。それに引き換え、自分には、彼らのように中からほとばしるものがないと。そんな自分が、プロとして音楽活動をし続けることは失礼だとさえ思うようになったのです」

 特にすごいと感じたアーチストとしては、具体的にどんな人たちがいたのだろうか?「そうですね……私個人としては、憂歌団やCharは凄いなあと思いましたね」


 こうしてバンドを脱退した烏丸さんは、縁あって、音楽出版社のシンコー・ミュージック(現在のシンコー・ミュージックエンタテイメント)に入社し、雑誌の編集に携わることになった。

 音楽という共通項はあるにせよ、いきなり出版業界という全く異質な分野に転身することに対して、違和感は感じなかったのだろうか?

 「正直、それはなかったです。学生時代にもいろんなアルバイトをしてきましたが、基本的に、仕事の選り好みはしない方だと思います。適性の問題は別にしても、どんな仕事でも楽しめちゃう方なんですよ。ひょっとしたら本当の意味での苦労を味わったことのないラッキーな人生を歩んでいるだけなのかもしれませんが……」。

 さて、取材される側から取材する方へと立場を変えた烏丸さんは、次第に、あることに対して釈然としない思いを抱くようになったという。

 「オレにでもできる、と思える作品には心が動かなかったんですよ。特にシンプルなロックンロール系の作品にそういうのが多かったんですが、『オレも辞めたんだからお前も辞めろ』って感じでしたよ」と笑う。

 ミュージシャンとしての成功者には、烏丸さんを驚嘆させたような才能の持ち主も数多くいるものの、その一方においては、才能以外の要因で現在の地位を築いているような人々も少なからずいる。それは、音楽というものが芸術というよりビジネスとなっている現代世界にあっては、洋の東西、そして音楽のジャンルを問わず日常的に起こることだ。

 そうした人々を目の当たりにして、彼は「こういう連中がはびこるから音楽業界はダメになるのだ」と義憤に駆られたのかもしれない。「でも」と烏丸さんは言葉を継いだ。「やがて、自分の美意識にはないものを持ったアーチストが出始めてきたんですよ。そういう人々に出会ってからは、リスペクトできるようになりました」

インターネット時代に突入、遅かったPCへの目覚め

 実は、烏丸さんのPCへの目覚めはとても遅い。1993年ごろ、ようやくPCに向き合うようになったのだが、それには、ロックミュージシャンらしい(?)理由があった。

 「ギターは身体全体を使って弾く体育会系の楽器ですが、それに比べて、キーボードは文科系のイメージで、男のやるもんじゃねえ、っていうすごい偏見を持っていたんですよ。『ふざけるな、ロックにそんなもん、いらねーぜ! キーボード? オカマか〜?』ってね(笑)。それで、キーボードのくっついたPCも大嫌いだったんですよ」と爆笑する。

 ところが……「遅まきながらMacを使い始めてみたら、これがめっちゃ面白い!(笑)何だかモノづくりの実感が得られて、すっかりハマってしまったんですよ」

 こうしてPCの魅力へ開眼したことが、烏丸さんのその後の人生を大きく切り開くことになろうとは、彼自身も予想できなかったに違いない。

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