『週刊文春』も危なかった……『週刊新潮』の大誤報を笑えない理由集中連載・週刊誌サミット(3/4 ページ)

» 2009年05月27日 08時30分 公開
[土肥義則,Business Media 誠]

とにかく強力なチームを作った

 そして(『週刊文春』は)チームを12月10日前後に組んだ。週刊誌の関係者であれば分かると思うが、この時期に人数をさくのは大変なこと。さらに秘密に取材をしなければいけない。なぜなら赤報隊と(坂本弁護士拉致事件が)違うのは時効になっていないから。つまり犯人と称する人と接触するということは、「犯人隠避」という罪に問われる可能性があるからだ。

 この人が事件の犯人だと知っても、警察に通報する義務はない。しかし事件の犯人だと知りながら、お金を渡したり、住居を提供すれば犯罪になる。なので(犯人であることを)自称している人間に接触するというのは、極めて厳しい状況なのだ。

 私は、とにかく強力なチームを作らなければならない、と判断した。私の2代あとの編集長をしている島田君は当時、新婚旅行でシンガポールに行ってきた。シンガポールに着いた日だったが、電話で「戻ってこい」と言った(会場内笑い)。とにかく若い社員ばかり10人集めた。なぜなら……家族持ちは正月も仕事だとかわいそうだから(笑)。

 そしてこの後のことも、『週刊新潮』の誤報問題とよく似ている。(犯罪者と名乗る男は)職がなく、ちょっとした犯罪者だった。また愛人を連れていた。家もないので、とりあえず私たちがウイークリーマンションを提供した。これも『週刊新潮』とよく似ている。

 我々のこうした行為は犯人隠避にあたるので、「文藝春秋です」といった痕跡を残すことができなかった。なので私の女房の名前で、ウイークリーマンションを借りた。その時、初めて「自分はいい人生を歩んできたんだなあ」と思った。なぜなら職業も名刺もない人間が家を借りようとすると、本当に人は疑わしい目で(自分のことを)上から下まで見てくる。私は「こういう風に思われながら、育っていく人もいるんだなあ」と思いながら、(男には)そこに1カ月間暮らしてもらった。

ギリギリのところで『週刊新潮』にならなかった

 そして(我々は)男から徹底的に話を聞いた。それは事件だけはなく、男の履歴もすべて聞いた。出身地は九州だったので、チームのメンバーには九州に行ってもらった。男が「加藤さんという人がいた」と言えば、加藤さんを探しに行く。そうすると、言っていることの半分くらいは本当のことだった。しかし核心になると、よく分からない部分もあった。

 男は殺害現場まで生々しく証言するので、江川さんは泣き出してしまった。(男の言うことを江川さんは)信じ切っていたのだ。しかし(男の証言の)裏が取れない。男は、我々にお金を一切要求してこない。そして「警察に出頭する」と言ってきた。最終的に「3時間以上の取調べには耐えられない」という医師の診断書を付けて、神奈川県警に3日間出頭してもらった。

 そうすると神奈川県警から、私に呼び出しがかかった。そして取調べ室に入れられてしまった。警察は「調べても分からないことを、男は言っている。これでは逮捕することができない」という。さらに(警察は)「実は『週刊文春』が大事なことを握っていて、警察が男を釈放すれば『逃がした』と書くのでは」と疑っていたようだ。

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