なぜ人はガンバリ続けるのか “努力教”は人を苦しめる論理ちきりん×phaの「そんじゃーダラダラと」(8)(3/4 ページ)

» 2010年03月19日 08時00分 公開
[土肥義則,Business Media 誠]

ちきりん もう1つおかしいことは「最近、ニートや引きこもりが増えている」「失業者が増えている」「少子化が進んでいる」「晩婚化が進んでいる」といった世の中の事象に対し、「ニホン経済の将来はどうなる?」「将来、年金が破たんする」といった論調がある。でも若い人は「なんでお前の年金を払うために、私たちが子ども生まなくちゃいけないの?」と思っているでしょうね。

 社会のために個人の行動を変えるべきという考え方と、がんばればなんとかなるという“努力教”は人を苦しめる。だけど上の世代の人たちは「自分も我慢して先の世代を支えてきたので、当然俺たちも下の世代に支えてもらう権利がある」という意識が強い。

pha 自分のことを振り返ってみると、これまでの人生であまりがんばったという記憶がないんですよね。自分が何かを成し遂げたときは、いつも楽しかった記憶しかない。僕は高校3年生のときに受験勉強を始めて大学に入学したわけですが、それも受験勉強がゲーム感覚で楽しかっただけだし、「圧縮新聞」などのプログラムを作っているときもひたすら楽しかった。そこには「しんどい」とか「やりたくない」といった感覚は全くなかったですね。

phaさんが作った「圧縮新聞」

 僕は「しんどい思いをしてがんばって何かを成し遂げる」ということをたぶん信じてないんですね。何かをやりたいというときには「楽しくてしょうがない」という気持ちがあるからやっているだけ。逆に言うと、楽しくなければそれをやらないし、自分の体が楽しいと感じないことはそもそもやらなくていいことなんだと思っている。

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