デジタル化した世界で、人の嗜好はアナログ化する――『東のエデン』に学ぶ、単館上映ビジネス(前編)(3/5 ページ)

» 2010年04月08日 08時00分 公開
[堀内彰宏,Business Media 誠]

言葉1つでお客さんに伝わる要素が変わる

石井 ここまでお話ししたのが企画段階です。今日はビジネスのお話なので、制作段階は割愛します。ただ、私は今まさに『東のエデン』の打ち上げの準備をしていて、「1人でも多くのスタッフを呼びたい」ということで数えたところ、絵を描くスタッフだけで500人を超えていて、音響スタッフなども含めると、600人以上がこのプロジェクトに関わったことになると思います。才能のある監督と優秀なスタッフ、そしてその人数がいなければ、この作品は成功しなかったなあと心から感じています。

 そして本題の「実際に作品をどう世に出していくのか」ということに入るのですが、そのためにはさまざまな方面の力が必要です。テレビアニメを放映するフジテレビや、出資会社であり、映画の配給も務めるアスミック・エースなどです。

 僕の仕事は「監督はこういう思いでこの作品を作って、スタッフはそれを受けてこういう形になりつつある。じゃあ、これを今のお客さまにどうやって見てもらうべきなのか」ということを配給会社の宣伝プロデューサーと議論しながら、1個1個進めていくというものです。

 なぜ、企画の始まりから、宣伝までをかなり遠回りに話したのか? それは、私は実際に絵を描きませんし、マーケットを作る立場でもないので、「一番必要な仕事は、言葉を扱うことだ」と思っているからです。企画段階で監督が「今、この時代に向けて、何を描こうとしたのか」ということを、監督1人がスタッフ全員にしゃべるわけにはいきません。監督の代わりにスタッフを口説く時に伝えたり、スタッフを口説きにいってくれる制作進行のスタッフに伝えたりと、とにかくすべてのスタッフに監督がやろうとしていることを伝えて行き渡らせることが大事だと思っています。これが進まないとキャラクターも物語も生まれませんし、「キャラクターがどういう芝居をするのか」という細かいところに違和感も出てしまいます。

『ハチミツとクローバー』

 そして大事なのは、作品がやろうとしたことを、宣伝を通してお客さんに正確に伝えることだと思います。キャラクター原案をしていただいた羽海野チカさん(漫画家、代表作『ハチミツとクローバー』)の力のおかげで、『東のエデン』は今まで担当した作品と違って、10代〜20代の女性のファンがとても多くなりました。

 もし、宣伝の戦略を立てる上で、「この国の“空気”に戦いを挑んだ、ひとりの男の子と、彼を見守った女の子の、たった11日間の物語」という切り口を選択せずに、「100億円の電子マネーがチャージされた携帯電話を持たされた、12人の救世主たちが繰り広げるSFアクション」という切り口で宣伝したとしたら、おそらくもっと上の年齢層に評価されたのではないのかと思います。「言葉1つでどのくらいお客さんに伝わる要素が変わるのか」ということを日々感じながらこの仕事をしています。

少数館の劇場興行だけでは制作費を回収できない

石井 今回のテーマは少数館で上映する劇場作品がどうして成功しているかという話なのですが、そうした作品が出てきているのは喜ばしい状況で、ますます増えてほしいと思っています。しかし、僕は現実的な話をするのが一番いいと思っているので、正直に申し上げると「少数館の劇場興行だけで制作費を回収することは非常に難しい」、これがアニメ業界の現実です。自社だけで企画したとしても、アニメの映像を支える200〜300人のスタッフの数自体はどんな作品でも変わらないので、「最低限これだけのお金が必要」というものがだいたい決まっているからです。

 ビデオグラムも売れなくなっています。しかし、いろんなメディアが増えていて、音楽業界では海外のアーティストがCDの商売をやめてライブ中心の活動に変化するといったように、世界がデジタル化したからこそ、お客さんの嗜好がアナログ化しているということは全世界で起こっていると思っていて、そのニーズに応えようとしたのが、『東のエデン』の劇場興行の内実です。

 3月27日には「『東のエデン』TVシリーズ一挙上映AR【拡張現実】オールナイト(外部リンク)」と題して、神山監督がファンの方と一緒に新宿テアトルに泊まりこんで、テレビシリーズの全11話を一挙放映するというイベントを行います。そして、ただ一緒に見るだけではつまらないので、見ているテレビシリーズに対するコメントを携帯電話を使って送信すると、それがリアルタイムに画面表示されて監督も見るというシステムを作りました。

 イベントのチケットは即日完売、立ち見も完売という結果になりました。映画はマスにマスに向かっていくという時代が多かったのですが、1つ1つの草の根作戦の結果、こういうお客さんの顔が近くで見られるようなイベントやビデオグラム、関連商品に、お財布のひもを開いていただける気になっていただけるということが小規模作品をやる醍醐味なのではないかと思います。

 また、プロ野球の野村克也さんの「勝ちに不思議の勝ちあり。負けに不思議の負けなし」という言葉を神山監督はよく例に出します。「どんなに勝利条件がそろっていても、最後に勝利できるかどうかは時の運で王道はない。ただ、敗北した時には、必ずそこに何かしらの原因がある。それが勝負の本質である」と僕は解釈しているのですが、映画興行もまさしくそれです。

 企画段階や製作段階、宣伝段階で監督がやろうとしていることを伝え、こうやったらお客さんに振り向いていただけるんじゃないかということをやっても、やっぱり難しい時は難しいんですね。ただ、その作業をさぼってしまうと、成功は絶対ないんだろうな、と今実感を持って言えます。各段階でみなさんの地慣らしをする僕は、スタッフと作品の内容について語り合って、やれることは全部やって、打ちもらしを防いだ上で、ようやくお客さまに来ていただけるか、来ていただけないか、というステージに立てると思っています。

 2009年に成功した単館系映画のリストを見ると、『サマーウォーズ』も『イヴの時間』も、ちょっと前の作品ですが『空の境界』(2007〜2009年)も、偶然ヒットを勝ち取ったのではなく、私たちよりもさらに緻密な戦略があったと思います。『東のエデン』はテレビシリーズで数億円規模の宣伝をさせていただけたのが、大きいですね。これから単館上映作品が増えるとしても、それぞれの成功の可否は監督やスタッフ、プロデューサーの不断の努力の積み重ねが大事なんだろうなと思います。

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