デジタル化した世界で、人の嗜好はアナログ化する――『東のエデン』に学ぶ、単館上映ビジネス(前編)(2/5 ページ)

» 2010年04月08日 08時00分 公開
[堀内彰宏,Business Media 誠]

この時代に何と戦う映画を作るべきなのか

数土 それでは、プロダクション・アイジーの石井朋彦プロデューサーに、『東のエデン』のビジネス展開についてうかがえればと思います。

石井 私は今32歳なのですが、ちょうど12年前に実写業界からアニメ業界に入ってきて、スタジオジブリで9年間、鈴木敏夫プロデューサーのもとで仕事をさせていただきました。そして、『イノセンス』で押井守監督と出会って、『スカイ・クロラ』(押井守監督)を経て今、『東のエデン』を神山健治監督と一緒に作っている次第です。

プロダクション・アイジーの石井朋彦プロデューサー

 私はどちらかと言えば現場で作品を制作している人間で、映画の興行結果と作品の中身は不可分だと思いますので、神山監督という類まれな才能のもとに集まったスタッフたちがどのように映画を企画、制作して、最終的にお客さんのもとに届けたかというお話をさせていただきます。

 私の仕事は、大きく3段階に分けられると思っています。1段階目は作品を立ち上げる企画段階で、「お客さんに見ていただくための企画をどう作るか」という立ち上げの部分。2段階目は、「監督のもとに才能のあるスタッフを集めて、予算との兼ね合いも考えつつ、作品を作り上げる」という制作の部分。3段階目は、「できあがった作品をどういう形でお客さんに届けるのか」という宣伝、興行の部分です。この3つの段階で私たちがどのようなことをしたかという話をさせていただきたいと思います。

 まず、私と神山が『東のエデン』という作品の企画を始めたのは、2006年の年末のことでした。彼も僕も下戸なので、深夜のファミリーレストランで、「映画を作ろうかいな」という話を、朝までウーロン茶片手に延々するのですが、その時に1つ大きなテーマとして、「今、この時代に何と戦う映画を作るべきなんだろうか」という話をした記憶があります。9・11やイラク戦争があった後で、当時の米国はブッシュ政権だったので、「善悪の境が限りなくあいまいな時代に、そもそもどういうものと戦う物語を作るべきなのか」という話をずっとするわけです。

 その中で神山監督が口にした、「今、戦うべきは日本をおおっている、漠然とした空気なのではないか」という発言が作品のきっかけになりました。冷戦時代であれば、いわゆる共産主義が特定の敵になったのですが、そのようなものがなくなってしまい、漠然とした平和という不安の中で生きる我々が「じゃあ何と戦うべきであるか」ということでその発言が出てきたのです。

出典:フジテレビ

 多くのアニメでは、キャラクター設定から始めることが多いと思います。特にオリジナル作品なら、その傾向は強いですね。そこで、そのような物語の中で「いったいどういう主人公が、主人公たりうるのか」を考えたのですが、これも随分話した後に神山から「石井、ホワイトハウスの前で全裸で放り出されたら、日本に帰ってこられる?」と聞かれたんですね。私は海外放浪をしていた時期があるので、「ズボンとTシャツと靴くらいあれば何とかなりますが、さすがに全裸は無理ですね」と話した記憶があるのですが、実はここから主人公の滝沢朗というキャラクターが生まれました。

 『東のエデン』をご覧になっていない人のためにお話しすると、テレビアニメ第1話は2011年が舞台なのですが、米国のワシントンD.C.、ホワイトハウスの前で、すべての記憶を失い、片手に拳銃、片手に謎の携帯電話を持たされている全裸の青年が目覚めるんですね。彼は「自分が何者なのか」も分かっていないのですが、彼の目の前にいた物語のヒロイン、森美咲が助けるんです。そして、ズボンを手に入れ、パスポートを手にいれ、最終的には日本に帰ってきてしまう。そうした非常にバイタリティあふれた男が主人公です。

 キャラクターを作った後には、「じゃあ、今のお客さまに見てもらうために、いったいどういう時代背景の物語を作るのか」を考えました。アニメはとかくキャラクターでマーケティングする要素が強いのですが、幸か不幸か、私たちのスタジオにはフラッグシップとなるロボットのようなキャラクターがないので、総合的に勝負していかないとならないという自覚があります。

 みなさんが映画をご覧になる時、「これは今の自分とはあまり関係ない映画だなあ」と思ったら、多分食指が動かないと思うんですね。そこで、「神山が言う、今この漠然とした不安な空気は、もう少し未来の日本だとどうなっているんだろう」と考えて、『東のエデン』は東京周辺に11発のミサイルが何者かによって打ち込まれたというところから、あえてある程度の時間が経った場面から始まる物語にしました。ただ、幸いなところというか、不思議なことに、ミサイルによって1人の死者も出なかった。1人の死者も出なかったからこそ、日本人は「大変なことがあったけど、まあこのまま平和が続いていくのかなあ」という気持ちを抱きつつ、また漠然とした日常に戻る。

 ヒロインの森美咲は就職活動の最中で、「これから社会に出ようとしている時に、日本はこのままでいいんだろうか」という漠然とした不安を抱いています。ただ、それを自分で何とかしようと思うには至らずに、「世界の中心は米国なんだから」ということで、ホワイトハウスの庭におさいせんを投げ込んで、「米国さん、何とかしてください」というようなことをしてしまう、ちょっと不思議な女の子です。そんな彼女が冒頭で滝沢朗と出会うことになります。つまり、今この時代に日本が置かれている、何となくいろんな危機が迫っている不安な状況をどう作中で表現するか、ということでキャラクターの次に世界観が生まれました。

 次に、実際にそのキャラクターと世界観を走らせるストーリーが必要になります。ここで神山が発明したのが、実は滝沢が持っていたノブレス携帯という携帯電話には100億円の電子マネーがチャージされていて、滝沢とは別の11人にも同じノブレス携帯が配られており、各人がその100億円を使って日本を良くしなければいけない。日本を良くできた1人が勝ち、良くできなかった残りの人は死刑、という何者かが仕組んだ非常に理不尽なゲームに巻き込まれていく、というストーリーです。そしてキャラクターとして、元官僚や医者、腐敗にまみれた刑事や派遣切りされたロストジェネレーション世代など、今の日本が抱えているさまざまな人々を登場させることによって、「この国の空気と戦う」という物語作りを進めていきます。

 お聞きになって分かるように、「まずは今、何を描くべきなのか」「それをお客さんにどう見ていただくべきなのか」ということに関しては、今日のテーマである小規模公開作品でも、大規模公開作品でも本質的な部分は変わらないと思います。ただその中でも、原作のあるアニメの成功する確率が比較的高いのは、原作がいろんな人に知れ渡ったという歴史があるので、その分お客さんに届くスピードが速いということなのではないかと思います。

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