インタビュー
» 2010年04月14日 08時00分 公開

35.8歳の時間・『追跡! AtoZ』キャスター:報道とは何か? 事件と震災の取材で分かったこと――NHK解説委員・鎌田靖 (2/6)

[土肥義則,Business Media 誠]

 当時のことを振り返ってみても、他社に抜かれたことしか覚えていないですね。当時、京都府の元消防士・勝田清孝が連続殺人事件を起こした。彼は「20人以上を殺害した」と供述しましたが、警察が立件できたのは8人。これはかなり大きな事件でしたが、当時の私は全く情報が取れませんでした。とにかくもがき、そして苦しみました。そして「自分はこの仕事に向いていないのではないか」「いつかクビになるのではないか」と、当時はずっと思っていました。

 記者2年目には、愛知県警の本部を担当することになりました。田舎の町で町長の横領事件があったのですが、それを抜いたことで少し自信がつきました。「自分も、もしかしたらこの業界でやっていけるんではないか」と。

 名古屋放送局には6年間いて、その後は報道局社会部(東京)に配属されました。29歳のときでした。名古屋では事件記者だったので、警視庁を担当するんだろうなあと思っていました。しかし検察担当となり、東京地検特捜部を取材することに。そして配属されてまだネタ元がほとんどいない状態のときに、リクルート事件が起きました。当然、全くといっていいほどネタが取れなかったので、また「会社を辞めようかなあ」と思っていましたね(笑)。

 警察への取材に比べ、特捜部への取材はものすごく難しい。最近よく「リーク」という言葉を耳にしますが、当時の僕にはリークなんて全くなかった。特捜部を4年間担当しましたが、休日は夏休みの7日間と正月の3日間だけ。日曜日も休むことはできませんでした。平日は朝駆けをして、夜回りをしなければいけません。なので朝は5時に家を出て、帰宅するのは深夜の2時ころ。まさに家で仮眠をとるといった感じ。しかし3〜4年目からは情報を取れるようになり、他社からマークされるようになりましたね。どのようにすれば情報を取れるのか、ということが少しずつ分かってきたので「自分も、この業界でメシを食っていけるかな」と思うようになりました。

報道局社会部で検察担当をしていた鎌田氏

情報を追うだけの日々

 30歳を過ぎても、朝駆け、夜討ち……と、ずっと取材ばかりの日々を送っていました。寝不足が慢性化していたので、実は当時のことをあまり覚えていないんですよ(笑)。情報メモを作っていましたが、そこに書かれていることはなんとなく覚えています。しかしそのメモを書いたら、“早く寝たい”という生活を送っていた。また特ダネを取ることができなかったので、当時の記憶がぼんやりとしているのかもしれません。

 1985年、日本航空123便が群馬県の御巣鷹山に墜落するという事故がありましたが、そのとき「日本航空に対し、検察がどのような処分をくだすのか」ということが注目されていました。結果、不起訴だったのですが、当時の僕は「不起訴処分にする方針を固めた」というネタでスッパ抜いたので、各社から恨まれましたね。この商売をしていると、恨まれれば恨まれるほど気分がいいもの(笑)。なぜ僕は毎日のように朝駆けと夜討ちをしていたかというと、他社の記者に負けたくなかったから。というのも、ずっと新聞記者に舐められていたので、「彼らには負けたくない」という気持ちは強かったからですね。

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