インタビュー
» 2010年04月14日 08時00分 公開

35.8歳の時間・『追跡! AtoZ』キャスター:報道とは何か? 事件と震災の取材で分かったこと――NHK解説委員・鎌田靖 (3/6)

[土肥義則,Business Media 誠]

 また「他社に認められたい」という思いもありました。他社に認められるには、特ダネを書くしかないんですよ。記者の場合はリポートがうまくても、企画力があっても、他社からはなかなか認められない。記者が記者であるゆえんは、情報がとれるかどうかにつきる。もちろん記事の表現力があったり、分析力があることも必要。しかし事件を扱う記者にとっては、情報を取ってこなければ誰にも認められません。

 当時の僕は、情報を追うだけの日々を送っていました。あまりカッコ良くなく、唯一の楽しみといえば、布団に入って寝ることだけ……。原稿を書くだけで、自分の中に何かが蓄積したといった実感もなかったですね。しかしいま振り返ってみると、そのころは僕にとって“記者の青春時代”。怖いもの知らずで、体力に任せて、ギリギリまで自分を追い込んでいましたね。

震災の取材を通して、いろいろなことを考えた

――阪神・淡路大震災では神戸放送局ニュースデスクとして、倒壊の恐れがあったビルから放送を続けることに。『NHKスペシャル 阪神大震災シリーズ』など、震災関連番組の企画・取材・出演を担当した。

 ずっと事件記者として、現場に足を運んでいたのですが、36歳のときに神戸への転勤が決まりました。しかもデスクという立場で。地方局のデスクというのは若い記者の面倒を見たり、取材の指揮を執ったりするのがメインの仕事。正直いって「やりたくなかった」。もっと現場に足を運び、いろいろな人から情報をとりたいという気持ちが強かったですね。

 また「デスクは嫌だな」といった意識がありました。NHKに入ってから、最も悩んだ時期ですね。もちろん「いつかは管理職になるかもしれない……」と思っていましたが、まだ早いのでは? という気がしていましたから。

 そして神戸放送局に赴任し、1995年に阪神淡路大震災が起きました。僕は家族と神戸に住んでいて、被災者という立場になりました。震災によって、死者は6000人を超えました――。こうした大被害が起きるということは、人間にとってどういうことを意味するのだろうか。この問題を掘り下げることによって、何らかの教訓が導きだせるのではないだろうか。これまでの僕は警察や検察取材が中心でしたが、震災によって新しいテーマが見つかった瞬間でもありました。

 東京から神戸に来て「デスクの仕事は嫌だなあ」と思っていましたが、震災があり自分も被災したことによって「神戸にいることは無意味ではない」と考えるようになりました。そしてその後は、人の死に関わるテーマを追いかけるようになりました。単に原稿をニュースにするだけではなく、例えば『NHKスペシャル』といった番組で取り上げていきたい、と考えるようになりましたね。

 それまでの僕は1人で取材して、特ダネを取って「ざまあみろ」といった人間でした。しかし震災を経験して、視聴者の方に何らかのメッセージを伝えていきたい。単に情報を取るだけではなく、どのように伝えていけばいいのか、誰をゲストにすればいいのか、どういった表現方法にすればいいのか――といったことを考えるようになりました。お恥ずかしい話ですが、事件ばかりを追いかけていた僕は、どのように伝えていけばいいのか――といったことさえ深く考えたことがなかったのです。

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