インタビュー
» 2010年04月14日 08時00分 公開

35.8歳の時間・『追跡! AtoZ』キャスター:報道とは何か? 事件と震災の取材で分かったこと――NHK解説委員・鎌田靖 (4/6)

[土肥義則,Business Media 誠]

 震災後、僕は『NHKスペシャル 阪神大震災シリーズ』(全12回)という番組に携わりました。番組は神戸で作っていたのですが、この経験は僕にとってとても大きかったですね。もしかしたら報道する人間として、少し幅が広がったかもしれません。

 震災の取材はものすごく大変でした。もちろん僕も現場に足を運ぶことも多かったですが、メディアのあり方というものを実感しましたね。震災直後のときには、被害状況を伝えるのが中心。死者の数が信じられないくらい増えていきました。午前8時ころに「兵庫県全体の行方不明者は8人」という発表がありました。最初の一報が「8人」ということは、いまでも鮮明に覚えています。しかしその直後に、東灘警察署にいた記者から「東灘区だけで、200人の行方不明」という連絡がありました。県内全体で8人なのに、東灘区だけで200人なんてありえないと思いました。僕は「そんな数字は絶対にあり得ない。間違っているから、確認しろ」と伝えました。

 やがて死者の数がどんどん増えていき、同時に僕の感覚は麻痺していきました。あえて誤解を恐れずにいうと、ヘラヘラ笑わないと、精神的にもたなかった――。つまり報道に携わる人間にとって、どのように対応すればいいのか分からなかった。学校に行けば何百人もの遺体が並んでいましたが、そんな経験は僕にはなかった。

 ある記者は救出現場を取材していたときに、被災者の人からマイクを引きちぎられ、このように言われました。「お前、こんなことやっている場合じゃないだろう。手伝え!」と。しかしその記者は「これが自分の仕事です。この状況を世界に伝えなければいけません」と言い、取材を続けました。僕はその記者がとった行動は、決して間違っていないと思っています。

 別のカメラマンも震災現場で同じようなことを言われました。そしてそのカメラマンは、カメラを回さずに手伝っていました。さきほどの記者とは全く逆の行動をとりましたが、僕は彼の判断も決して間違っていないと思います。

神戸放送局でニュースデスクを担当していた鎌田氏

 報道に携わる人間として、どちらが正しい行動をしたのか――。僕はデスクの立場として、結論を出せませんでした。そういう意味では“無能”だったのかもしれません。阪神・淡路大震災というのは現場に足を運ぶ記者、デスク、そしてメディア全体が報道のあり方というものを問われたと思っています。また僕たちは「NHKが」という意識ではなく、「神戸放送局が」という気持ちが強かったですね。なぜなら震災によって、神戸放送局は壊れてしまったから。つまり僕たちは取材者でありながら、被災者として報道を続けていました。

 しかしあれほどの震災でありながら、時間が経つと、人間というのは徐々に忘れていくもの。そこで僕は神戸に家を買いました。現在は東京で仕事をしていますが、いまでも神戸市民です。なぜ家を買ったかというと、神戸という土地に自分を縛り付けておけば、震災というものから離れられないと思ったから。僕は言動をなるべく一致させたいと思っているので、神戸で住むという選択肢しかありませんでした。

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