表立った談合が下火になって以降の公共工事受注をめぐっては、何が問題になっているのだろうか? 桑原さんの主張を整理すると、それは「企業努力の無意味化(=企業間競争の排除)」「役人による業界支配の維持強化」「税金の無駄遣いと、それによる地方財政の一層の悪化」ということになる。
では、これらの問題に対して、桑原さんが鋭く反応するのは何故なのか? それはおそらく、これらが自らの人生を賭けて追求してきた「建主の思いや考えを反映させた、良質で安価な建築の実現」という桑原さんのミッションの実現を遠ざけるものだからだろう。
まず、「企業努力の無意味化」について桑原さんは、「いまや、落札企業をくじ引きで決めたり、入札がダーツゲームのようになったりするなど、技術革新やコスト削減などの企業努力がまったく反映されない仕組みになっているんですよ」と嘆息する。
一般競争入札において、予定価格も最低制限価格も事前公表されるケースでは、当然ながら最低制限価格ギリギリの価格に入札する企業がずらりと並ぶ結果となる。そうなることはやる前から明白のように思えるのだが、そうなった場合にはくじ引きが実施されるのである。
「大阪のある入札では実に107社がまったく同額で並び、くじ引きで落札企業が決定したのです」
もう1つのダーツゲームとは、最低制限価格が事前公表されていない場合の入札が巻き起こす状況を指す。
最低制限価格が分からなくても、予定価格の何%の設定になっているかは、自治体ごとにほぼ一定となっており、その情報は各企業ともつかんでいる。それゆえ各企業は、いちかばちか最低制限価格ギリギリと想定されるあたりの金額で入札することになる。
不幸にして予想が外れ、最低制限価格を下回ってしまった企業は失格となり、上回った企業の中で一番低い価格をつけた企業が落札するのである。
「だから、ダーツゲームと同じだと私は言うんですよ」
くじ引きであれ、ダーツゲームであれ、いずれにしてもそこに企業努力が反映する余地はまったくない。
考えてみれば、長年業界を支配してきた談合システム自体が、持ち回りの互助会制度であって、企業の経営努力や、それに基づく企業間競争を否定するものであった。そういう歴史的な経緯から考えても、建設業界をめぐる現在の事態は、起こるべくして起きたことなのかもしれない。しかし、もはやそれは見過ごせない状況にはあるようだ。
「そもそも予定価格×85%というような最低制限価格を算出する比率が、自治体ごとに一律に決まっていること、それ自体に必然性がないんです。
なぜなら、十分な品質を確保しつつ、下請けを含め、適正な利益をあげられる最低限の価格というのは、企業により、そして工事案件の性質により異なってくるからです。
ある案件に関して技術力が十分でない企業にとっては、最低制限価格を上回る価格であったとしても、品質の確保はもちろん、利益を出すことも困難です。逆に、技術革新を行うなどして技術力を高めている企業や、血のにじむ思いをしてコスト削減を実施している企業から見れば、最低制限価格をはるかに下回る価格でも、十分に利益を出し、品質を確保することが可能なのです。現状の入札のあり方に対しては、そうした技術力のある企業からも、技術力のない企業からも悲鳴が上がっています。
こうした状況は、岐阜市が拡充を図っている総合評価方式※にしても同様で、地域貢献(ボランティアなど)の要素が過大に評価される仕組みになっているため、技術力のある企業やコスト競争力のある企業が落札できなくなっているのです」
明らかに早急な対応が求められる状況であるし、それにこれでは桑原さんが追求する「建主の思いや考えを反映した良質で安価な建築の実現」からかけ離れてしまう。こうした状況の問題性を世の中に知らしめ、業界革新の1つの契機にしようとの思惑もあったのだろうか、桑原さんは今年、岐阜県の案件でユニークな提案を行い、世間をあっと言わせる。
Copyright © ITmedia, Inc. All Rights Reserved.
Special
PRアクセスランキング