「ニューズウィーク日本版」元編集長。東京大学経済学部卒業後、「週刊東洋経済」の記者・編集者として14年間の経験を積む。1985年に「よりグローバルな視点」を求めて「ニューズウィーク日本版」創刊プロジェクトに参加。1994年〜2000年に同誌編集長、2001年〜2004年3月に同誌編集主幹を勤める。2004年4月からはフリーランスとして、インターネットを中心にコラムを執筆するほか、テレビにコメンテーターとして出演。ブログ「藤田正美の世の中まるごと“Observer”」
東京電力福島第1原発の事故ほど「想定外」という言葉が使われたことはあるまい。「想定外の津波」によって、外部電源が遮断され、非常用電源であるディーゼル発電機も破壊され、バッテリーが上がったところで緊急停止した原子炉の炉心を冷却することができなくなった。それが現在の惨状すべての始まりである。
「想定外」という言葉の裏にあるのは「防ぎようのない事故」という意識だろう。つまり直接的責任は自分たちにないということだ。謝罪会見、計画停電の発表会見、被災者への見舞いなど数多くの東電が絡む場面を見ていても、どうも違和感があるのは、この事故を防ぐことができたのではないかという意識が希薄であるように見えるからだ。
ある新聞では専門家が「隕石が落ちても大丈夫な原発なんていうことまで考えるのは現実的ではない」と語っていたが、科学者とは思えないほど乱暴な議論だと思う。隕石が落ちる確率と「想定を上回る」津波が発生する確率は天と地ほど違うだろう。それに津波対策という意味では、高い堤防を築くというだけでなく、津波で浸水しても非常用電源がきちんと稼働するということを考えればよかったはずである。
外部電源がすべて遮断されても非常用電源が動きさえすれば、福島第1原発は今のような惨めな姿をさらすこともなかったはずだ。非常用ディーゼル発電機やその燃料タンク、そして冷却用ポンプなどが水密(水圧がかかっても漏れないようになっている状態)を保たれた建屋にありさえすればよかった。実際、原子炉建屋は今でこそ無残な姿になっているが、地震にも津波にも耐えていた。内部からの水素爆発によって壁が吹き飛ばされたのであり、その意味では冷却さえうまく行っていれば今でも無事だったはずである。
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