岩手県陸前高田市。宮城県との県境の沿岸部に位置している。幹線道路は国道45号線で、大船渡市と気仙沼市とのほぼ中間点でもある。一関や水沢、遠野などの内陸のホテルに宿泊してから向かう時には国道340、343号線を使ったりする。海岸沿いは広田湾などがリアス式海岸となっており、この地形が津波が高くなる理由の一つにもなっている。
市街地の中心部を気仙川が流れており、上流は矢作川で合流する。あの日、津波はこうした川を逆流し、支流にも津波の被害が出た。現在、気仙川を渡る橋が津波で落ちたために、国道45号線は寸断されている。そのため気仙川を渡るには、矢作地区まで川をのぼり、橋を渡らなければならない。
海岸沿いは地盤沈下し、陸地がなくなっている地区がある。高田松原第一球場も水没している。防風林もほぼなくなったが、7万本あった松の木のうち1本だけが残った。その松の木は震災後「奇跡の一本松」と呼ばれ、復興のシンボルになっている。
私が陸前高田市を最初に訪れたのは4月2日。車で気仙沼市側から陸前高田市入りしたために、気仙川をさかのぼるように進んでいた。そのとき見えたのは気仙小学校だ。気仙小学校は当時、全校児童92人。海岸からは約2キロ離れているものの、気仙川の堤防からは約500メートル。津波はその堤防を超えて、校舎を飲み込んだ。しかし児童は全員無事。教員が緊急事態を判断し、高台に避難させていたという(参照記事)。
子どもたちの生命を救った教師の判断はすばらしかったと言える。気仙小学校は地域の避難所になっていたため、地域の人たちも集まってきていた。校舎の内部を見ると、その痕跡がいくつもあった。逃げ遅れて亡くなった人もいたという。
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