コラム
» 2011年06月09日 08時00分 公開

言ってはいけない。被災した子どもに「がんばれ」と相場英雄の時事日想(2/2 ページ)

[相場英雄,Business Media 誠]
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教育の場で、現場と上層部の乖離

 先月下旬、当コラムの読者からメールを頂戴した。本稿のテーマとなる「がんばろう」という言葉が持つ二面性を、改めて筆者に教えてくれる内容だった。

 とある東北の被災地で、教育委員会が主導するかたちで「がんばろう」というスローガンが小中学校に多数掲げられている。被災地の子供達の一体感を高め、絆を強めるのが狙いだ。

 筆者はこの取り組みをくさすつもりはないし、批判する意図もない。ただ、頂戴したメールには、先の項で筆者が触れたような違和感が横たわっていた。以下、メールを転載する。送り主は、小学校で低学年を担任されているベテラン教員だ。

 あの日、3月11日。私の担任していた1年生は、私の指示に従って泣きもせず騒ぎもせず、必死に机の脚にしがみつき大きな揺れを長い時間小さな体で耐えていました。私は、あの子たちのことをとても誇りに思っています。どの子ども達も、言葉には出さなくてもその発達段階に応じて、今回の震災から我慢することや助け合うことの大切さを肌で感じ取っているのです。子ども達の成長は、避難訓練の時の真剣な表情や、運動会で見せるがんばりに十分にあらわれていると感じる教職員は私だけではないはずです。

 この上、お飾りの様なスローガンを押し付けて無駄に踊らせる意味がどこにあるのでしょうか?

 筆者にも小学生の子供がいる。仮に、愚息が同じような立場にいたら、このベテラン教員と同じ感覚、いや、違和感を覚えたはずだ。頂戴したメールに共感したからこそ、あえて「がんばろう」というスローガンが持つ意味合いを考え直していただきたいと考え、本稿を綴っている。

 私の学校は津波被害にもあわず、地震で学校が使えなくなったわけでもありませんが、道路一本へだてた小学校は津波に流され、児童も亡くなっています。在校児童の中にも、祖父母を亡くした児童がいます。家が流されて転校してきた児童もいます。そうした現実に対して、児童・生徒に「がんばろう」と呼びかけていったい何をさせようというのでしょうか?

 読者の中で、今回の大震災後、被災地でボランティア活動を行った向きが少なくないと推察する。また、被災した故郷に帰った向きもいるはずだ。

 筆者は震災ルポ取材のために何度か被災地に足を向けたが、「がんばろう」「がんばれ」という言葉を安易に発してはならないとの思いを一段と強めた。かつて取材でお世話になった方々、友人のご家族に対し、間違っても「がんばれ」とは言えなかった。被災地で、被災者同士が「がんばれ」と励ましあうことの意味合いは大きいと考えるが、子供達にこの言葉をかけるのは酷だと筆者は思う。

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