日本のベンチャーを“世界”のベンチャーへ――川鍋仁氏世界一周サムライバックパッカープロジェクト(1/3 ページ)

» 2011年06月14日 08時00分 公開
[太田英基,世界一周サムライバックパッカープロジェクト]
世界一周サムライバックパッカープロジェクト

太田英基(おおた・ひでき)

世界一周中のバックパッカー。6月9日現在、欧州滞在中。1年半で40カ国以上の訪問を予定。若者の外向き志向の底上げのため、海外で働く日本人を訪問したり、旅の中で気付いたことや発見したことをWeb中心に情報発信しながら旅をしている(サムライバックパッカープロジェクト)。学生時代に広告サービス「タダコピ」を立ち上げた元起業家でもあり、根っからの企画屋。Twitterアカウント「@mohideki」では旅の様子をリアルタイムに発信している。

 →目指せ世界一周!「サムライバックパッカープロジェクト」とは?


 「シリコンバレーにPlug and Play Tech Center(プラグアンドプレイテックセンター)という面白いところがあるよ。君も起業していたのならば、訪れてみるといいよ!」

 そんなご紹介をいただいて、ベンチャー企業を対象としたインキュベーション施設であるプラグアンドプレイテックセンターを訪れました。

プラグアンドプレイテックセンター

 同施設には訪問時点で300社超の立ち上げ段階のベンチャー企業がオフィスを構えていました。ビジネス領域などによってオフィスエリアが区切られており、iPhoneアプリを事業としている会社が集まるiPhone Apps Pavilionというエリアがあったりします。また、施設内のカフェテリアで情報交換ができるなど、相乗効果も見込める環境作りを心がけているようです。

 そんなプラグアンドプレイテックセンターで、日本企業向けの支援活動をしているサンブリッジの川鍋仁さんにお話をうかがいました。

川鍋さん(右)と日本総領事の猪俣さん(左)

1週間のシリコンバレー滞在で転職を決めた

――これまでの歩みについて教えてください。

川鍋 大学卒業後、専攻とはまったく無関係のIT企業のCSKに入社し、ソフトウエアエンジニアになりました。インターネットをまだ一般の方々が使えない時代でしたが、会社がWIDEプロジェクト※に参加していたおかげで、入社3年目にインターネットの研究ができました。

※WIDEプロジェクト……慶應義塾大学教授の村井純らが中心になって1988年に設立された、インターネットに関する研究プロジェクト。

 そんな時、出張でたった1週間ですがシリコンバレーに来たことで、この業界の本当のすごさと本物のスピード感を経験しました。また、この業界が 米国企業に支配されていることを痛感し、日本に帰ってから、当時米国では飛ぶ鳥を落とす勢いだったものの、日本ではほとんど誰も知らなかった日本オラクルに転職することにしました。

 入社してすぐ、自分の担当製品が本社の米国ではなく英国であることを知り、1年後にはOracle UKで働いていました。

 5年後に日本に帰ってきた時には、日本オラクルは東証一部上場企業となっており、社員数は入社時の8倍の2000人以上になっていました。大きく成長したOracleを見ながら(&感謝しながら)、「もう一度、“成長痛”を感じるほど急成長するシリコンバレー型ベンチャー企業で働きたい」と夢見るようになり、シリコンバレーに本社を置くIPLocksというベンチャー企業に入社、開発部門を統括するポジションで渡米しました。

 数年後、会社が事業売却と本社の日本移転という形でexitした結果、米国での仕事がなくなりました。しかし、私自身は日本には戻らず、プラグアンドプレイテックセンターに身を置きながら、転職や起業を志すことにしました。

 その時に奇しくも入居してきたのが、IPLocksに投資してくれていたサンブリッジのアレン・マイナーでした。早速、ビジネスプランを持って会いに行きましたが、私の持っていったビジネスプランにはほとんど関心を示さず、代わりに一緒に働くことが許されました(笑)。

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