このほか、同紙や他の地方紙の取材に追随する形で、大手メディアが被災者を取り扱ったネタは膨大な数に上る。
「担当プロデューサーからのネタ出し要請がきつく、数をこなさねばならなかった」(某民放系制作会社ディレクター)
「地元紙に比べると圧倒的に記者の数が足りなかった」(某大手紙デスク)
帰京後、筆者が旧知の同業者に尋ねると、こんな答えが返ってきた。怒りを通り越して、筆者はあきれかえってしまった。今触れたような大手メディアの声に接した読者の反応はいかがだろうか。
先月、岩手沿岸地域を取材して実感したのは、やはり被災者が深い心の傷を抱え続けているということだった。筆者は宮城沿岸地域での取材と同様、彼らに接するときは筆者なりに細心の注意を払い、慎重に言葉を選んだ。何度被災地に足を向けようとも、筆者は津波を直接見たわけではなく、不自由な生活を経験したわけではない。ただ、被災者の側に立ちたいという一心から当欄で現地の様子を伝え続けた(関連記事)。
誰のためと問われれば、被災者の生活再建と答える。お気軽に地元紙のネタをパクった大手メディアの人たちは、どちらを向いて報道の仕事をこなしているのか。改めて問うてみたい。
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