目の前の人はあなたの等身大の姿吉田典史の時事日想(2/2 ページ)

» 2011年09月02日 08時00分 公開
[吉田典史,Business Media 誠]
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空しく悲しくなる思い

 その後フリーになり、その翌年(2006年)に懇親会を開こうとした。しかし、人が集められない。5月に8人くらいで集まり、酒を飲んだ。8人のうち、ネット上で知り合った人たちが6人。その中には職がない人たちもいた。彼らが話す内容は、自分の愚かさを棚上げした安易な会社批判。私は一応、幹事だから、酒をついだりした。だが、トイレに行き、大きな鏡で顔を見ると、泣きそうな表情だった。

 2007年の暮れには、自分が教えていた専門学校の受講生15人ほどと忘年会を開いた。平均年齢は30代前半。その大半が「迷い」の中にいる社会人だった。会社員をさしたる意味もなく辞めて無職であったり、わずか数年で転職を繰り返す人たちだった。話す内容は10歳若い大学生と変わらない。「結婚は早いが、仕事は遅い」。職場でこんな具合にバカにされている感じの人たちだった。

 私は、ここでも空しい思いになった。「なぜ、自分の前にはこのレベルの人しかいないのだろう」と不満を募らせた。1人になると、「もう、こういう物書きの仕事をやめようか」とも考えた。

 しかし、そのころから次第に自分が読者数の多いサイトで連載を書くようになったり、実績のある人事雑誌で記事を頻繁に書くようになったりした。自分でも「死ぬんじゃないか」と思うほど、大量に記事を書いた。疲れ切っていたが、「もう、あとがない」という背水の陣の思いだった。それにともない、もっと優秀な学生が集まる学校で教えたり、意識の高い聴衆が集まる会で講師をするようになった。

 すると、想像さえしていなかった変化が起きた。私のところに来るメールは、それまでの学生の内容は意味が分からなくて解読できなかった。だが、新しい学校の受講生は意味が分かる内容になっていた。さらに、講演を終えて話し合う人たちも明らかに社会的な地位が3〜5ランク、高い人になっていた。取材をする人も、キャリアや実績が豊富な人になっていった。こういう状況になると、次第に自分の心も満たされていく。数年前に不満の塊であったはずが、毎日が楽しくなる。

 すると、ここでまた大きな変化が起きる。目の前に現れる人が一段と、レベルの高い人になっていく。仕事も次第にその分野で名が通った会社のものになっていった。私の心は、ますます満たされたものになる。多少なりとも余裕が生まれ、親しい人にもこの思いを味わってほしいと思い始める。冒頭で述べた懇親会も、その一環だった。

 みんなが話し合っている様子をじっと見ていると気持ちがいいくらいに、洗練されたタイプの人が集まった。その多くは、それぞれの分野で相当な実績がある人たちだった。実は、その懇親会の店は、私が会社員のころ、幹事として使用したところだった。7年後には、会社員のころに集めた25人よりもはるかにレベルの高い人たちが集まった。それを見ていると、飛び上がりたくなるなど、うれしく感じた。

 仮に自分が死んだりした後も、この25人が「ああ、あのときの懇親会で知り合ったね」といった話し合いがなされ、次のステージに双方が進んでいくことを願った。そのような潜在的な可能性のある人を選んだ。

 こういう経験を経てつくづく思うのだが、優秀な人や一流と言われる人との関係を作ろうとするならば、まずは自分を磨くことに尽きる。目の前に現れる人の大多数は、自分の鏡でしかない。10の力ならば、10の力の人が現れる。5の人には、せいぜい6くらいの人が精一杯だ。自分の力を上げることなく、相手には高いものを求めるのは思い上がりもはなはなだしい。2006〜2008年のころに、みじめな経験をしたのは要は自分のレベルが低かったということでしかない。

 これは会社員にも言えることだ。自分の能力を上げることなく、仕事への姿勢を変えることなく、「会社が悪い」「上司がダメだ」というのは甘い考えでしかない。きっとその考えでいる限り、浮かばれない。自分が経験してきたからこそ、自信を持って言える。

 あなたの目の前にいる人は、あなたの等身大。どのような人がいるのだろう。

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