国家百年の計を持て――元塾頭と卒塾生が語る松下政経塾の理念とは(1/3 ページ)

» 2011年09月29日 16時30分 公開
[堀内彰宏,Business Media 誠]

 次世代のリーダーを育てるため、パナソニック(旧松下電器産業)創業者・松下幸之助氏が私財70億円を投じて1979年に創設した松下政経塾。1986年に逢沢一郎氏が衆議院議員に当選したのを皮切りに、現在38人の国会議員を送り出しており、このほど第1期生の野田佳彦氏が総理大臣になったことで改めて注目を集めることとなった。

 企業経営者が立ち上げ、しかもその卒塾生が与野党の別なく政治家として活動しているという組織は世界的にも珍しい。松下政経塾はどのような思いから誕生し、どのようなことが教えられているのか。

 松下政経塾の2代目塾頭を務めた上甲晃氏と第3期生の樽床伸二衆議院議員が、9月27日に行われた日本外国特派員協会の会見でその内実を語った。

樽床伸二氏(左)と上甲晃氏(右)

日本の政治家は目先の問題の解決に追われている

上甲 私は40歳まで松下電器産業で電子レンジの販売課長をしていました。政治にまったく素人の私が、松下政経塾で仕事をするようになりました。その時、松下幸之助が言った言葉が大変印象的でした。「僕は新しい政治家を育てたいんだ。本当に新しいことをやろうと思ったら、何にも知らない方がかえってやりやすいんだ」というひと言で、素人の私が松下政経塾で仕事をするようになったのです。

 私が松下政経塾で14年間政治家を育てる仕事をする間、心がけたことは「素人に徹すること」でした。今日は少し松下政経塾を作った松下幸之助の思いを説明させていただこうと思います。

 松下幸之助が松下政経塾を作ろうと考えたのは40年前のことです。40年前というと、日本は高度経済成長期、上り坂のすごくいい時期だったんです。その高度経済成長のさなかに、「このままの政治が続くと、日本はやがて行き詰まる」と(松下氏は)言い続けていました。今の時代であれば「日本が行き詰まる」と言っても誰もが納得するのですが、当時は誰も理解しませんでした。

『崩れゆく日本をどう救うか』(PHP研究所)

 40年前、松下幸之助は『崩れゆく日本をどう救うか』という本を出しています。高度経済成長を遂げていこうという日本で、『崩れゆく日本をどう救うか』という本は大変特異な存在でした。

 40年前にそういう思いを持ったのですが、10年間はみんなに反対されて、結局松下政経塾を作ることができませんでした。しかし、(松下氏は)「日本はこのままではダメになる」という危機感が非常に強かったので、85歳の時、今から31年前に松下政経塾を作ることになりました。

 なぜ松下幸之助はそのころから「このままの政治が続けば日本は行き詰まる」という危機感を持っていたかという一番の原点をお話しします。

 「日本の政治家は今日の問題を解決することばかりに追われている。100年先はおろか、5年先、あるいは10年先のことを考えている政治家がいない。この変化の激しい時代に青写真のない国作り、国家としての方向を定めない政治は、やがて必ず日本の国を行き詰まらせる」というのが松下幸之助の危機感でした。

 松下幸之助は塾生に「日本の国家100年の計を持て」と繰り返し言い続けてきました。さらに、「国民が勇気を持ち、そして将来の希望を持てるような力強い日本の将来を指し示す政治家であれ」ということを繰り返し言い続けてきました。

 私はその話を聞きながら、「松下政経塾の目的は総理大臣を生み出すことでも、外務大臣を生み出すことでもない。国家100年の計を持った政治家で日本を立て直していくことが松下政経塾の使命だ」と今日まで考えてきています。ですから私は野田首相、あるいはここにいる樽床氏も含めた松下政経塾出身者には、イコール国家百年の計を持っていることを期待しています。

 私は松下政経塾ができた時から14年間仕事をしました。当時は自民党の派閥政治全盛の時代で、「塾を作って、政治家を育てるということはまったくの素人の考え方だ」と私たちは常に言われ続けてきました。

 当時、松下政経塾に集った人たち、野田氏も樽床氏も「松下政経塾に来て、本当に政治家になれるのだろうか」とみんな不安な気持ちでした。その証拠に当時の松下政経塾は何十倍という競争率でしたが、合格しても決して親は喜びませんでした。「せっかく大学まで卒業させたのに、そんなわけの分からないところに行くために育てたのではない」と言って、多くの親が懸命に松下政経塾に入ることを反対したという記憶を鮮明に覚えています。

 松下幸之助は政治家を育てるためのお金(選挙資金)は一銭も出しませんでした。松下電器産業のグループを挙げて応援するということも一切させませんでした。日本の言葉で言うと、「裸一貫、自分の足で立ち、自分で立ちあがり、はい上がっていくこと」を強く塾生に求めました。そのため松下政経塾の人たちの選挙運動は、街頭演説をしたり、街を走り回ったりと、極めて素人のような方法ばかりでした。そのころのことを思うと、総理大臣が出たりしたことにはとても感慨深いものがあります。

 しかし、松下幸之助が生きていれば、きっとこう言ったのではないかなと私は想像しています。「総理大臣を生み出したからといって、喜んでばっかりおったらアカンで。日本の国は今や企業でいえば本当に倒産しかかっているような危ない状況にあるんや。そこの社長や重役になったからといって、手放しで喜んでいるようではアカン。よほどの覚悟を決めて、思い切った改革をしないとつぶれかかった会社を本当につぶしてしまうで。日本の正念場であり、松下政経塾の正念場やな」と。

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