地球ぐるみでモノを作る「パーソナル・ファブリケーション」、ネットでいえば何年?遠藤諭の「コンテンツ消費とデジタル」論(2/4 ページ)

» 2011年10月20日 12時22分 公開
[遠藤諭,アスキー総合研究所]

 私が直面している家具というものでは、もともと生活空間は人それぞれ違っている。自転車のような身体論的な機械(体を動かすことと移動すること、周囲を見ることなど、同時にいくつもの感覚に作用してくる)では、もっと深遠な部分もあるだろう。

 私は、たかだか30センチ奥行きが余分にあるテーブルが欲しいだけなのだ。アルミフレームでめちゃ軽いのだが、ママチャリみたいにカゴを付けて乗れる自転車があってもよいと思うのだ。先日までかけていたメガネは、韓国ソウルのデパートで深夜1時に買ったものだが、フレームの壊れた部分を本当なら修理して使い続けたいと思っている。

 モノ作りは、日本では戦後「オートメーション」が発達してベルトコンベアー式で何でも作れるようになった。大量生産・大量消費の時代が来て、それを流通が支えて、企業が競い合って生活を豊かにしてきた。QC運動によって世界で日本の工業製品の品質は高く評価されるようになった。それは、素晴らしいことだったと思う。とろこが、いま、自分にちょうどよいモノが見つからないのはなぜだろう? しかも、フレーベル館で聞いた積み木のような話が出てきている。

 昔の積み木のほうが優れているというのは、不可解なことだ。これだけ物質的に豊かな生活の中にいるように見えて、実は、物質的貧困の中にいるともいえる。

フレーベル館の「第三恩物」。全部で20種類ある恩物(おんぶつ)のうちの1つで、立方体8個だけでいかに世界が表現できるかに感動するはずだ

Copyright © ITmedia, Inc. All Rights Reserved.