「分からないものが一番いい」――秋元康氏のAKB48プロデュース術(2/7 ページ)

» 2011年10月28日 02時10分 公開
[堀内彰宏,Business Media 誠]

今のAKB48は甲子園で優勝したくらい

西村 アイドルグループには、かつておニャン子クラブがあり、モーニング娘。があり、そしてAKB48と続いていますが、この違いは何ですか。AKB48の時代になって、ネットとかが絡んでくるんでしょうか?

秋元 そうですね。やはりおニャン子クラブはテレビが生んだアイドルですから。テレビというのは最大公約数なので、子どもからお年寄りまで同時にファンをつかむことができるので、番組(『夕やけニャンニャン』)がスタートしてから人気が出るまでがすごく早かったです。

 当時、僕は番組の台本を書いたり、作詞をしたりしていたのですが、「これは当たるな」と思ったことがあります。自宅で『夕やけニャンニャン』を見ていたら、司会のおニャン子クラブの1人が「今日は新田恵利ちゃんは中間テストのためお休みです」と言ったんですよ。「こんなにナメてる番組はないな」と。多分ちょうど視聴者のみなさんも中間テストのころだったと思うんですね。だから、「あ、自分も中間テストだ。このブラウン管の中の彼女も中間テストだ」と、それでより身近に感じたんじゃないかなと思うんですよね。

 おニャン子クラブは音楽的に優れていたわけではなくて、やはりテレビの企画ものでした。そして、おニャン子クラブを見てファンになったつんくは、ミュージシャンなので最先端の音楽を加えました。モーニング娘。が出てきた時は衝撃でしたし、「こんなにかっこいいアイドル音楽というのはなかなかないんじゃないかな」と思いました。モーニング娘。はおニャン子クラブと似ているようですが、全然違います。おニャン子クラブは「特訓しない」「レッスンしない」「そのまま」で、もっとレッスンを積み、能力のある子たちが集まったのがモーニング娘。で、それが音楽的にすばらしかったということです。

 AKB48はそこに行くまでの過程を見せる、むしろある種のドキュメンタリーなんですね。ですから、オーディションに受かった子たちがどう成長していくのか。

 つまり僕は2005年12月8日に東京秋葉原の劇場でスタートしたんです。その時は僕のイメージでいうと、「かつておニャン子クラブという高校野球チームを優勝に導いたことがある監督が秋葉原の地で野球部を作り、甲子園を目指そう」というところから始まったんです。ところが、野球をやったことがない、ボールを握ったことがない、バットを握ったことがない子たちが集まっているんです。

 初めは秋葉原の住人、地元の商店街のみなさんみたいな人たちが、「地元に野球部ができたけど、あいつら大丈夫か、あんなへっぴり腰で」という感じでありながらも、すごく優しくしてくださって、差し入れをしてくれたり、金網越しで応援するかのようにしてくださったりした。それが次第に地区大会で勝ったりして、少しずつ駒を進めて甲子園に行って、甲子園で優勝するまでがAKB48なんですよね。

 「じゃあ今、どのくらいのところにいるのか?」とよく聞かれるのですが、僕のイメージでは甲子園に優勝したくらいなんですよ。甲子園に優勝して、プロ野球チームのスカウトマンたちが「あの人をピッチャーにスカウトしよう」というようなのが今のAKB48じゃないかと思います。これからAKB48を卒業して、ソロになったりして、今度は本当の芸能界というプロ野球でどこまでみんな活躍できるかというところじゃないですかね。

西村 別に歌手じゃなくても、女優やテレビ司会者でもということですね。最初のオーディションの時、秋元さんは「こういう子を採ろう」というポイントがあったと思うのですが、もう出来上がった子というより、まだまだ分からない子をお採りになったのですか? 色がないというか。

秋元 それはそうですね。やっぱりちょっと経験があるとか、そういう人は外しましたね。あるいは「多分、芸能界とはこういうものだろう。アイドルとはこういうものだろう」というものを持っている人は不合格だったような気がします。つまりまだ何も分からない、海のものとも山のものとも分からない感じの24人が少しずつ、少しずつ(成長していった)。

 スタッフもそうなんですよ。スタッフも今までそういうステージの人と組んだことのない人たちが集まってやりました。例えば、まずは“ブカン”に「ちゃんとこういう風にやらなきゃダメだよ」ということを言うじゃないですか。ブカンは舞台監督の略ですね。でも、一生懸命みんな真面目にメモをとっていると“武官”とすごい恐ろしそうな感じになっていたり。「そこをバミっといて※」といった言葉も通用しないところでした。

※バミる……役者の立ち位置、カメラ、機材の位置を後で確認できるように、テープなどで印をつける作業のこと。「場を見る」が語源の業界用語。

 スタートした時にみんなから言われたんですよ。「絶対に失敗する」と。「秋葉原で土日に有名なグラビアアイドルが握手会をやっても50〜100人しか集まらない。だから、秋元さんがいくら頑張っても毎日250人のお客さまは埋められないんじゃないですか」と。「いやいやそうだと思うけど、やり続けたら何とかなるんじゃないの」と返したのですが、初日の観客は7人でした。

西村 その時あせりは感じませんでしたか?

秋元 いや、「何か面白いよな」と。どこか言い聞かせたのかもしれないですね。「この7人が増えていくのをお前は望んでいたはずだ」というのがありました。

西村 満員御礼になったのは、そのどのくらい後なんですか?

秋元 2カ月後くらいですかね。結構早く満員になりました。それはやはりネット社会だからです。もし20年前だったら、口コミで広がっていくのに時間がかかったでしょうね。

 でも、初日を見た方がケータイやPCから「すごいものを見つけた」「秘密基地のようだ」というようなことをブログや掲示板などネットで発信してくださった。それがやっぱり大きいと思うんですよね。だから、僕はAKB48というのはもちろん劇場で実演しているわけですが、ネットとリアルを行ったり来たりしているところが面白いんじゃないかと思うんですよね。

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