コラム
» 2011年11月22日 08時00分 公開

抽象的な“一”をつかめば、十にも百にも応用できる(4/4 ページ)

[村山昇,INSIGHT NOW!]
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「本田技術研究所は人の気持ちを研究するところである」

 補足になるが、松下幸之助や本田宗一郎は、事業に対しどんな定義の感覚を持っていたのだろう。松下は『実践経営哲学』の中でこんな言い回しをしている――“事業は人なり”と言われるが、これはまったくその通りである。(中略)私はまだ会社が小さいころ、従業員の人に、「お得意先に行って、『君のところは何を作っているのか』と尋ねられたら、『松下電器は人を作っています。電気製品も作っていますが、その前にまず人を作っているのです』と答えなさい」ということをよく言ったものである。

 また、本田は1960年に本田技術研究所を分社独立させたとき、創立式典で次のように語ったという――私は研究所におります。研究所で何を研究しているか。私の課題は技術じゃないですよ。どういうものが“人に好かれるか”という研究をしています(ホンダ広報誌『Honda Magazine』2010年夏号より)。

 「松下電器は人を作るところである」「本田技術研究所は人の気持ちを研究するところである」――これらの定義は抽象的であると同時に主観的である。定義は客観的であるべきだと誰もが思いがちである。しかし主観による定義が悪いだろうか。確かにサイエンス(科学)の世界は厳格に客観性を求める。しかし、経営や事業、仕事といったアート(技芸)の要素を多分に含み込む人の営みの世界では、主観性はおおいに許される、いや、むしろ積極的に奨励されるべきではないか。

 会社では頻繁に会議が行われている。しかし、私が感じるのは、会議の場に分析や批評があふれはするが、ついぞ「自分たちはどうするんだ」とか「自分たちは事業をこう定義する」といった肚(はら)から出る主観的な意志が立ち現われてこない。結局、対前年何%増といった事業計画上の数値目標だけが、客観性・合理性を帯びた金科玉条として組織の中を跋扈(ばっこ)することになる。

 「つたなくてもいい、粗くてもいい。もっと抽象的に、もっと主観的に、仕事を通しての自分の叫びを表現してみろ!」、私が経営者・上司なら、そう発破をかけるだろう。ちなみに私は、自分が行う事業を次のように定義している──「働くとは何か? に対し目の前がパッと明るくなる学びの場を提供する事業」。そして自分の目指したい姿は「働くとは何か?について第一級の翻訳者になること」。(村山昇)

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