新幹線「300系」は、なぜスピードを追い求めてきたのか杉山淳一の時事日想・新連載スタート(2/4 ページ)

» 2012年02月03日 12時45分 公開
[杉山淳一,Business Media 誠]

 しかし、JR東海にとっては「最速のプライド」以上の、もっと切実な事情があった。それは鉄道業界ではなく「航空業界の大変革」だった。

 「スーパーひかり」プロジェクト開始の3年前。1985年に、日本政府は航空政策の転換に着手する。1972年に策定した「45/47体制」を見直し、航空業界の規制を緩和。航空運賃の自由化を認める方針であった。

 45/47体制は、日本の航空事業を安定的に発展させるため、1970年に閣議決定し、1972年に運輸大臣が通達した政策だ。そこには「過当競争による安全性への影響」に対する憂慮があった。政策の骨子は「運賃・路線の規制」と、その見返りとしての保護、つまり、新規参入会社の抑制であった。日本航空は国際線とそれを補完する国内主要路線、全日空は国内線と国際チャーター便、東亜国内航空は国内ローカル線を運行すると定められた。

 しかし、米国から始まった航空事業規制緩和の影響で、この45/47体制は終わりを迎えることになる。1986年に日本の航空政策は自由化へ転換する。同一路線の複数社による運行が認められ、1997年までに路線許認可規制が撤廃される見通しとなり、新会社の参入も可能になった。

 そこで、東京―大阪間、さらにそれ以遠の路線についても、航空各社間の値下げ競争が始まると予想された。これが新幹線にとっての「本当の脅威」であった。

 それまで、東京―大阪間について「飛行機は速いけど高い。新幹線は飛行機より遅いけど、安くて手続きが簡単」という住み分けができていた。航空業界の規制緩和によって低価格競争が始まれば、新幹線の運賃の優位性が崩れる。これは、遙かフランスのTGVのスピードより切実な問題だ。

晩年は「こだま」で活躍した300系。こだまのサービスアップにつながった(左)、100系は2階建てだったグリーン車も、300系では1階構造に(右)

Copyright © ITmedia, Inc. All Rights Reserved.