トラックに負けた、貨物列車の残念な歴史杉山淳一の時事日想(3/5 ページ)

» 2012年02月17日 08時02分 公開
[杉山淳一,Business Media 誠]

コンテナ輸送への先見性が仇になった

 日本の鉄道コンテナの歴史は古い。実は船舶用コンテナの普及より早かった。国鉄が最初に提供したコンテナは1931(昭和6)年に登場したという。1トン積みの小型コンテナで、屋根のない貨車(無蓋車)にそのまま載せるタイプだった。

 現在のように「コンテナ専用の貨車に搭載し、フォークリフトを使ってそのままトラックに積み替えられる」タイプの11ft(フィート)コンテナは1959(昭和34)年に登場している。「たから号」と名付けられたコンテナ専用特急貨物列車で「戸口から戸口へ」というキャッチフレーズがあった。

 実は、この時の11ftコンテナは妻開きだった。小口荷主向けという意図があったし、積み替えるトラックも小型の1台積みだった。荷台に屋根のついた小型トラックはほとんどが妻開きだったので、妻開きのほうが都合がいい。そして、このままコンテナが妻開きで進化してくれたら良かった。しかし、このあと、コンテナの進化は側開きに進んでしまう。

従来型の有蓋貨車は側開き

 コンテナ貨物の扱い単位が大きくなり、コンテナは長さ11ftサイズから12ftサイズへとひと回り大きくなった。そして有蓋貨車を使っていた荷主もコンテナ化していく。有蓋貨車は貨物ホームで荷扱いする。だから側開きのほうが都合がいい。こうして鉄道施設の事情によって側開きコンテナが普及し始める。荷物が多ければ大型トラックにコンテナを2個積み、3個積みにする。だからトラックの扱い上も側開きのほうが都合がいいと思われた。

複数積みなら側扉にせざるを得ない

 しかし、いま振り返ると、ここが間違いだった。12ftコンテナのサイズに固執して「荷物が多ければコンテナの数を増やす」ではなく、「大きなコンテナを開発し、トラックで扱いやすいように妻開きにしよう」とすべきだった。

 11ftコンテナ、12ftコンテナのアイデアは良かった。先見性もあった。しかし、たから号運行当時、すでに始まりつつあった海上コンテナ規格化を察知すべきだった。12ftサイズに固執してしまったために、時代の変化についていけなかったのだ。もっとも、当時はコンテナを積み替える機材(フォークリフト)の性能面の制約もあっただろう。

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