1967年新潟県生まれ。1989年時事通信社入社、経済速報メディアの編集に携わったあと、1995年から日銀金融記者クラブで外為、金利、デリバティブ問題などを担当。その後兜記者クラブで外資系金融機関、株式市況を担当。2005年、『デフォルト(債務不履行)』(角川文庫)で第2回ダイヤモンド経済小説大賞を受賞、作家デビュー。2006年末に同社退社、執筆活動に。著書に『偽装通貨』(東京書籍)、『偽計 みちのく麺食い記者・宮沢賢一郎』(双葉社)、『震える牛』(小学館)などのほか、漫画原作『フラグマン』(小学館ビッグコミックオリジナル増刊)連載。ブログ:「相場英雄の酩酊日記」、Twitterアカウント:@aibahideo
先の3月11日。ご存じの通り、昨年発生した東日本大震災から1年が経過した日だ。当欄で何度も触れてきた通り、大手のテレビ、新聞は「大震災から1年」の大特集を組んだ。だが、筆者は一連の報道に強い違和感を持った。メディアが持ち出す「区切り」という言葉ばかりが強調されていたからだ。昨年来、被災地取材を続けた筆者が感じた違和感の根源に触れる。
「今日はツイートしないと決めた。静かに過ごす」
「取材陣が大挙押しかけてきた。そっとしておいてほしい」
3月11日の午前、筆者は複数の三陸の友人たちと電話で話した。彼らの口から出てきたのが、冒頭の言葉だ。
前者は、Twitterを通じて復興に関する情報を熱心に説いてきた人物であり、後者は震災前から筆者と親交のある商店主だ。
両者ともに大震災により甚大な被害を受けた地域に現在も暮らし、生活再建の途上にある。2人に共通していた思いは、「あれから1年経過したが、一向に暮らし向きは楽にならない」というものだ。
「『絆』やら『復興』と言葉だけはキレイごとばかりの報道が並ぶのは確実。東京のテレビや大手新聞の“お祭り”に付き合う精神的余裕はない」との声にも接した。
当コラムで何度も指摘してきたが、大手メディアは「あれから◯カ月」、「◯年」という区切りが好きだ。節目ごとに大量の取材陣を投入し、取材現場は熱気を帯びる。
もちろん、先の大震災は未曾有の災害であり、節目ごとに経過を読者や視聴者に伝える意義は大きい。ただ、未曾有という言葉の背後には、それだけ傷付いた人がいるということを、大手のメディアはいまだに理解していないと複数の情報番組の中で感じたのは筆者だけではないはずだ。
昨年の震災ルポでも触れてきたが、こうした節目、区切りのタイミングでは無神経な取材陣も現れる。被災直後の子供にマイクを向け、「怖かった?」と聞くような輩だ。
「『あれから1年』のお祭り騒ぎが終わったあと、我々は忘れ去られてしまうのではないか」とは先の商店主の言葉だ。残念ながら、今後、震災関連、被災地を巡る情報は確実に減る。筆者は、大手メディアが伝えない「経過」を、今後も現地に赴き伝え続ける所存だ。
大手メディアの震災関連、復興に関する報道は確実に減るが、現地の様子は地元の新聞やテレビを通じ、東京など首都圏のほか、全国で知ることができる。
特に、震災以降はTwitterを通じて情報発信を活発化させる地元メディアが増加し、報道内容もきめ細かさが増している。被災地や被災者に心を寄せ続けようと関心を持つ向きは、ぜひTwitterを通じて地元メディアの報道に接してほしい。
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