ブログに加筆された本書でも、寺島氏の書き方は変わらなかった。ただ、厚みを増した記述は、被災地の外に暮らす筆者、あるいは他の読者に重い現実を突きつけるものとなった。
以下は寺島氏が故郷である福島県相馬市の沿岸部のトンネルを訪れた際の記述の一部だ。
『そこから7体の地蔵を、津波が引き離すように流したのでしょう。
不思議だったのは、地蔵たちがみな立った姿だったこと。
波の力が自然にこのようにしたのか、トンネルの中に流されたのを痛ましく思った人が集めて立てたのか。
不思議さは募りました。自らも流され、傷つきながら、地蔵たちは海の方角を向いて手を合わせ、祈っているのです。波の音だけが響く、太古に戻ったような静けさの中で。
三陸から福島の浜まで、津波の犠牲になった人々、子供たちのために、そして海を鎮めるために祈っているように思え、不意に泣けました』
言うまでもなく、河北新報社は仙台に本社を置き、東北全域をカバーするブロック紙だ。今回の震災では、同社がカバーする広大な地域、青森から福島までの沿岸地域が破壊されてしまった。同書のまえがきの中で、寺島氏はこんなメッセージを発している。
『私自身も被災地の現場を歩くようになり、多くの記者たちと同様、まず「何をしたらいいのか分からない」ほどの破壊の現場に打ちのめされました』
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