鉄道自殺は“カジュアル”すぎる。だから晴れた日に多いし、遺書も用意されていないと思う。中村氏も記事中で『私たちは「30センチ前へ踏み出すことにより、死ぬことができる日常がある」社会に生きている』と指摘している。
私は人を導くほどの徳はないので、死にたい人を引き止める力はない。むしろ、死にたい人は生きるだけで苦痛だろうから、「生きなさい」なんて言う方が残酷だ。高いところに上ったり、道具を用意してまで死のうという人を止められない。
しかし、深い考えもなく、発作的に死のうとする行為は防ぎたい。熟慮の上で死ぬなら仕方がいかもしれないが、ほんの出来心で死んではいけない。取り返しがつかない。そして、ほんの出来心で選ばれる死は、ほんのちょっとの工夫で翻意できるのではないか、とも思う。30センチくらいの距離なら、きっとこちらに引き戻せる。
手段を問わず自殺する人は増えている。全体を減らそうとすれば、教育や医療、政治をも巻き込んだ大掛かりな対策が必要だ。しかし、それより先に、大勢の人に迷惑をかける飛び込み自殺について、各論で対策を考え、実験していく。これは鉄道関係者のエゴだろうか。そんなことはない。自殺の性質が違う。
Copyright © ITmedia, Inc. All Rights Reserved.
Special
PRアクセスランキング