行方不明者はいまだ2903人、海岸で遺骨を探す人の思いは東日本大震災ルポ・被災地を歩く(1/3 ページ)

» 2012年08月10日 08時00分 公開
[渋井哲也,Business Media 誠]

渋井哲也(しぶい・てつや)氏のプロフィール

book 『3.11 絆のメッセージ』

 1969年、栃木県生まれ。フリーライター、ノンフィクション作家。主な取材領域は、生きづらさ、自傷、自殺、援助交際、家出、インターネット・コミュニケーション、少年事件、ネット犯罪など。メール( hampen1017@gmail.com )を通じての相談も受け付けている。

 著書に『自殺を防ぐためのいくつかの手がかり』(河出書房新社)、『実録・闇サイト事件簿』(幻冬舎)、『解決!学校クレーム』(河出書房新社)、『学校裏サイト 進化するネットいじめ』(晋遊舎)、『明日、自殺しませんか?』(幻冬舎)、『若者たちはなぜ自殺するのか?』(長崎出版)など。メールマガジン 「週刊 石のスープ」を刊行中。

 5月、被災地の人々の生の声を集めた『3.11 絆のメッセージ』(被災地復興支援プロジェクト)を出版。共著に『風化する光と影』がある。


 東日本大震災から500日以上が過ぎた。いまなお、地元メディアでは毎日のように震災関連の報道がされている。しかし、東京に住んでいる私にとっては、意識しないと震災関連の報道に接する機会が得にくくなっている。こうしたギャップは以前から感じていたが、最近特に強く感じるようになってきた。

 津波で児童74人が死亡または行方不明となった宮城県石巻市の大川小学校では、学校管理下で多くの命が失われた。遺族は「なぜ子どもたちは逃げられなかったのか?」と、真相解明を求めている。情報公開請求を行ったほか、7月8日には石巻市教育委員会(以下、市教委)から説明を受けた。しかし、市教委の回答が二転三転したこともあり、遺族たちはさらなる不満を抱いている。

 「先生たちにはお世話になった。恨みがあるわけではない。しかし、あの時のことを疑問に思わない人はいない。子どもたちが犠牲にならなければならなかった理由を知りたい」(遺族の1人)

 「宮城県では『災害時には子どもたちの判断力を身に付けさせることが大切だ』としている。確かにそれは大切です。しかし、ちょっと待って。大川小の子どもたちはどうなのか。『裏山に逃げよう』と主張していた子どもたちがいたんです。あの時、大人たちがきちんと聞いていれば助かったのでないか」(遺族の1人)

 大川小では教職員も10人が犠牲になっている。過去の津波の教訓が伝えられてきた南三陸町出身の教師もおり、「裏山へ逃げよう」と言っていたという話もある。なぜ、山に避難しなかったのか。

津波到達点から見た大川小

 これまで出されてきた市教委の報告書には納得できない点が数多くある。それを追求するたびに回答が変わり、時には追求したその場で変わってしまうこともあった。遺族たちが求める真相解明はまだ終わっていない。

 「子どもたちの多くが亡くなったのだから、先生たちだって悔やんでいると思う。“釜石の奇跡”と呼ばれる岩手県釜石市の住民たちだって、津波が来ないと思っていた人たちはいる。でも、学校は違う。万が一のために安全な場所に子どもたちを避難させるんです」(遺族の1人)

 当時、学校にいて助かった教職員は1人だけ。現在休職中のその教職員も一度、説明会に出席したが、その後は出ていない。

 その教職員による、保護者や校長向けの手紙は公開されている。しかし、「震災前に、校長先生や教頭先生と津波の避難について話し合ったことがありますか? ありましたら、どんな内容でしたか」「校舎から校庭へ避難する際に、先生は『山に逃げる』と子どもに話しましたか」「津波の情報は、どんな方法でどの程度つかんでいましたか」など、市教委による11項目の質問については、「主治医の判断で質問状をお渡ししませんでした」とのことで、一切回答がない状態だ。

 こうした真相究明は、学校や市教委の“悪事”を暴くために行われているのではない。問題に向き合うことが第一義で、もちろんその過程では言い合いも生じてしまうだろう。しかし、それを乗り越えないと再出発はできない。

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