不完全エスパー―積極的傾聴と文化祭―「誠 ビジネスショートショート大賞」清田いちる&渡辺聡賞受賞作(4/5 ページ)

» 2012年11月16日 11時00分 公開
[鈴木ユキト,Business Media 誠]

 翌朝。

 いつもと同じ朝。私は学校に、榊は会社に行く平日。

 榊の当番の日だから朝ご飯は登校前と出勤前にファミレスに寄ってモーニングセットにした。外食は嫌いじゃない。昨日のことが恥ずかしくて、食べ方とか、ちょっと榊にキツめに当たりながら食べ終わって、一緒に電車に乗って途中で別れた。いつもの朝だ。

 でも、今日の私は昨日までと少し違う。

 榊と別れた後、携帯からよっち先輩にメールした。今日の部活の後、文化祭の出し物について少し話し合いたい、と。

 私の用件だけのぶっきらぼうなメールに、優しくて気遣い屋さんのよっち先輩は丁寧に返してくれた。絵文字がなくて、きちんと文章になっている彼女らしいメールだった。自分も気にしていた、とのことで帰りに学校の近くのコーヒーショップに行くことになった、

 その日、いつも通りに授業とお昼と授業と部活があって、夕方になった。

 でも私にはあっというまの一日だった。よっち先輩に、どう話し始めて、どう聴くか。そのことばっかり考えていたから。だから、私の方が先に待ち合わせ場所に着いた。

 そして、よっち先輩がやってきた。


 「ごめんね、ゆっきー、待たせちゃって」

 「いいんです。あたしこそ急にお願いして。受験前なのに、すみません」

 よっち先輩は、綺麗な長い髪を揺らしてにこってした。いいのよ、と言いつつ。

 学校の近くの駅は、この時間うちの学校の制服の子でいっぱいになる。みんな部活にも熱心だ。でも時間も遅いし、それに、ナイショの話みたいに二人っきりの場所にしたら先輩もいろいろ思うだろうから、あえてここにした。

 私は豆乳入りのラテ。よっち先輩は一回席にバッグを置いて、カウンターでマンゴーのシロップのかかったアイスクリームを買ってきた。二人掛けの小さなテーブルに向かい合って座って、よっち先輩は言った。

 「んと、文化祭の出し物のことよね。実はちょっと心配してたの。あと1カ月少しだし、そろそろ実行委員会に何やるか言わないといけないものね」

 少しアイスを食べて、表情では『でも、大丈夫だと思ってるけどね』というニュアンスで。

 私は返事した。

 「はい、そろそろですし。よっち先輩は、どうしたいって思ってますか?」

 決して、思い詰めてとかの風にはしないで、それでも私はずばっと聴いた。先輩は、それに普通に答えた。

 「んー、やっぱり演舞かなぁ。時間のこともあるし、あれもケイコの成果だしね。一昨年もやったけど、ちょっとウケも良かったし」

 「うん、それも一つのやり方ですね。でもなんか、ぱって決めちゃうのもったいなくて。みんなの意見聴きたいんです」

 「いいことね、ゆっきー。あの日、みんないろいろ意見言ってたし、よくまとめてあげてね。……ふふ、あなたやっぱり、部長、適任かもね」

 よっち先輩は、ほとんど演舞に決まるだろうと思っているのか別の話を始めてしまいそうだった。だから、私はもっと話を引き出したくて、このことを言った。

 「んー、それはもちょっと先に。その前に文化祭ですから! でも……」

 「ん? でも、どうしたの?」

 私は、先輩の目を見て、うん、とうなずいて言った。

 「あの日、キョンちゃんも何か言いたそうだったけど、言えなかったみたいだから。どうしたらいいかなって思って」

 よっち先輩の顔が、少しこわばった。アイスを食べる手が止まった。一瞬だったけど、私は見逃さなかった。彼女の雰囲気は、ちょっと斜め下を見るような感じになった。じわっと、先輩のきれいな感じが色あせたようになった。

 私は、先輩に話してほしかった。だから、こう言った。

 「文化祭、みんなでやりたいんです。頑張ったねって言えるように。でも、最近もう無視できないです。キョンちゃん、去年と全然違う。知らんふりするの、もう嫌です。……でも、よっち先輩は、どう思ってるのかなって」

 「もちろん、私も気付いてるし、気にしてるよ? でも、キョンちゃんを信じないと。自分のことは自分で解決するしかないし」

 私はじっと先輩の目を見て、真面目な顔で、うん、うん、とうなずいて聴いた。榊に教えられた通りに、真剣に。先輩はそう言ってから黙って、少し視線を外してさらにこう言った。

 「……いじめられてるって、聴いたこともあるよ。でも、そんなの本人に聴けないじゃない? それで余計に気持ちを傷つけるかもしれない」

 よっち先輩の言葉は、決してその場限りで思いついた感じはしなかった。先輩は先輩で、ずっと気にしていたんだ。私はうれしくなった。でも、ここでうれしいです! とするわけにはいかない。

 榊に教えてもらった。積極的傾聴において、私(聴く側)は、とにかく話させることに集中しないといけない。相手の意見への賛同や無反応は、時に誘導となってしまう。

 だから、同意したかったり自分が感想を持って話したい時も、まずは、しっかり聴いているというサインとして、うなずく。あるいは「それでそれで?」とか「どうしてそう思うの?」とか合いの手やうながしを入れることが大事だ。だから、私はこう言った。

 「うん、どんなこと、聴いてましたか?」

 「2年の別の子から聞いたの。彼女が、調理実習で何かとてもひどいことを言って、それ以来みんなから無視されたり、ひどいこと言われてるって。あと、体育や音楽の時にも、彼女とペアになることをみんな嫌がるって」

 胸が痛んだ。その通りだ。

 よっち先輩は、私がキョンちゃんと同じクラスだと知っている。でも、こうして話している。それはきっと、彼女が胸に秘めていた、話したいことだったから。私は、先輩の目を見てうなずいた。先輩は続けた。

 「私ね、いじめとかいじめるとか、知らないわけじゃないの。私、幼稚舎から来てるから小さいころ、そんなのいっぱいあった。自分は無関係で、気付かなくて分からない、って返事をするのが平気な子たちもいっぱいいて、あたしは仲良くなれなかった。でも、先生や親に聞かれて、私も、そう言ったことある。今も……同じ」

 よっち先輩は泣いたりしなかった。でも視線を落として、溶けかかっているアイスを見ていた。私は、分かりきっていることだけどあえて聞いた。榊から教えてもらったように。

 「じゃぁ、こないだの、文化祭の出展をどうしようかって話してる時にも、キョンちゃんがなにか言いたそうだったの、知ってたんですね」

 「うん、もちろん分かってたよ。私、多分、部員のみんなのことすごくよく見てると思う。それにはちょっと自信あるの。でも、見てるだけのこともいっぱいある。あの時もそう。演舞の案にいいわねって言ったのも、キョンちゃんがもうできていることだし、参加しやすいかなって思ったから」

 「そうなんですね。演舞、みんなで頑張りましたもんね。先輩、練習は絶対お休みしないじゃないですか。塾も土日にしているって聞いてます」

 「私、部長だもの。私が休んでどうするの? でも、今度の文化祭のことは正直言って気が重いの。ごめんね、ゆっきーにこういうこと言っちゃうけど、文化祭に出展しないといけないって思うと、ちょっとだけ、気持ちがつらくて」

 「どうしてですか?」

 「……キョンちゃんのこと。あの子、いじめられているからか、自信なくしてると思う。新しいことを覚えて、何かするのをすごくためらうし、苦痛に感じるんじゃないかと思うの。私、彼女にきつく言いたくないし、どうすればいいか分からない」

 よっち先輩は、いつもの大人っぽくて優しいお姉さんっぽい感じから、弱り切っている同じ年ごろの女の子になっていた。

 その後もいろいろ先輩は話した。話は脱線することなくひたすら空手部と、キョンちゃんと、文化祭の準備のことだった。それが、よっち先輩の気持ちをどれだけつらくしているかがよく分かった。


 積極的傾聴は、相手をよく知るためにある。相手をコントロールするためではない。そして言葉以上に、観察が重要だ。榊は繰り返し言っていた。私は、すでにくせになっている、安っぽく優しい言葉や、気遣ったようなことを言うのをぐっとこらえた。

 よっち先輩のアイスは全部溶けてしまっていた。

 その日は、そのまま帰った。

 先輩とは電車が逆方向だから、駅まで一緒に行って、そのまま別れた。

 その後も、私は部員ひとりひとりに同じように意見を聞いていった。

 よっち先輩と話した翌日の稽古前ミーティングで、私は、文化祭の意見集めのために「ヒアリング」をしたいとみんなに言った。よっち先輩は部長として、うん、とうなずいてオッケーをくれた。

 毎日コーヒーショップだと他の子も来てしまうといけないと思ったから、場所を変えながら続けた。他のファストフードとか、学校の空き教室とかも使った。

 2週間で、話は聞き終わった。そのころから、私は実行委員としての仕事も少しづつ増えてきていた。当日の運営担当もあるけど、準備としては資材管理係になっていた。メールと帰宅後をフルに使って何とかこなしていたけど、ぎりぎりセーフでみんなの話を聞けてほっとしてもいた。

 途中のころ、部活の最中に「そういう時は、ゆっきーに話聞いてもらいなよ!」と誰かが別のことで勧めてるのが聞こえた時があった。何だか、私は自分が聞き上手になったようでうれしかった。最終日は、キョンちゃんに聞いた。慰めるとか、そういうのではなくて普通に、キョンちゃんにどうしたいのかを聞いた。

 その結果、いくつかのことが分かった。

 空手部のみんなは、文化祭の出展を特に楽しみにしていないこと。面倒というよりも、ささっと済ましてしまってクラス展示とか、他のことに時間を使いたいと思っている子が多かった。これは最初に演舞という案が出たことが大きかったようだ。

 次に、キョンちゃんのことを気にしていない(心配していない)子はいなかった。特に明るくて元気なマエちゃんは、よっぽど溜まっていたのかすごくよく話した。彼女は同級生だから、キョンちゃんが元気なころのことも知っていた。でも、それをどうしたらいいか分からないと言っていた。これは同じ感覚を持っている子が多かった。

 1年生の2人は、それぞれに聞いても同じことを言った。キョン先輩は、ああいう人だと思っていた、と。それには私は何も言わなかった。彼女らは、心配だけど、ちょっと怖い、とも言った。お互いが、相手のことを言ったけどキョンちゃんの左手の傷を見てしまったからのようだった。それ以来、もうなにも言えないと2人で言っていたそうだ。

 そして、キョンちゃんも含めた全員に共通していたこと。

 それは、このままではいけない、という思いだった。


 そして、私は、私の思う空手部の出展案をみんなに話した。

 ものすごく私は考えた。榊の意見も欲しかったけど、あえて聞かなかった。

 いろいろ考えたけど、でも、この案以上のことは思い付けなかった。

 まず、よっち先輩に相談した。よっち先輩は、とても良いと思うし、うれしい、と言った。そうして、先輩の許可をもらって土曜日のミーティング時間に、みんなにその話をした。夜遅くならず、長く話すにはその方がいいからだ。

 最初、私の提案にみんなが黙った。

 私は後戻りができないことをいくつか話した。みんなに聞いた内容を総合したことと、このままではいけない、ということを。キョンちゃんもいる中でのことだった。私は、決してキョンちゃんのことを言いたいんじゃない、私が耐えられないからだ、と話した。それは何よりもの本音だった。

 沈黙の後、最初はマエちゃんが、そしてすぐに全員が、私の案に同意してくれた。

 キョンちゃんも、頑張る、と言った。

 私はその足で大急ぎで実行委員会に届け出をした。私たちは準備に入った。


 実質あと1カ月しかなかった。

 のろのろしてたら、あっというまに過ぎる。急がないと。だから、最初に大まかな日程を決めた。

 最初の1週間でテーマの整理と知りたい内容、伝え方を。

 2週目は素材集め。必要な取材やインタビュー、資料のコピーをする。

 3週目で模造紙や展示物の製作。最後の1週間は予備日程。

 それぞれに細かく分けた担当を決めて、部室のみんなが見えるところに模造紙にチェックシートと日程表を作って貼った。

 同時に、必要な場合は臨機応変に助け合うことを共通の認識にした。でも、言わなくてもみんなそのつもりだった。「非指示型マネジメント」が、もともと優秀なみんなの中で走っていた。積極的傾聴は、話させただけではなかった。話すことを話して、前を向いたみんなの心に火をつけていた。みんな生き生きとしていた。

 意外なこともあった。優しいけど実は厳格なよっち先輩が、空手部の稽古はこの期間月水金に絞ると言い出した。びっくりした。これには最初キョンちゃんが反対したが、他のみんなが『とにかく走り切りたい!』と言ってよっち先輩に感謝した。キョンちゃんも、ありがとう、と言った。気が付けば、キョンちゃんは以前ほどではないけどよく話すようになっていた。部活の時に限っていたけど。

 みんな本気で頑張った。そしてあっというまの日々が過ぎた。

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