“リベンジ心”に代わる目的を見つけた時(2/2 ページ)

» 2013年01月09日 08時00分 公開
[村山昇,INSIGHT NOW!]
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 ……ところが昨年あたりだろうか、この言葉を読み返した時に、以前ほどの力強さを感じないことに気が付いた。「リベンジ(復讐)」という語彙が、自分の気持ちにしっくりこないのだ。そして、今年の元旦を迎え、何気なく岡本太郎さんの本を再読していたら、こんな一文に目が止まった。なるほどそうかと、自分の気持ちの変化に合点(がてん)がいった。

 「人生は、他人を負かすなんてケチくさい卑小なものじゃない」──岡本太郎『強く生きる言葉』

 いや、まさにその通り。すでに私のなかには、過去の些細な出来事のわだかまりやら引っ掛かりやらはすっかり削げてしまっているのだ。岡本流に表現すれば、もはや自分は「他人に復讐しようなんてケチくさいちっぽけな」理由で、日々の仕事に打ち込んでいるわけではない。私は見返し・復讐といった次元から解放され、もっと大きな開いた理由を持って働いている。そう合点がいった時、何かすっと抜けた気持ちになり、これも何か1つの成長なのだなと思った。

 たとえて言うなら、石炭という復讐心を燃やして、黒煙を上げながら地べたをズリズリと進んでいた小さな機関車が、いまや太陽からの光(=大きな開いた目的)を燦々(さんさん)と受け、それを無尽蔵のエネルギーに変えて自由に大空を飛ぶ飛行機に変身したかの成長だ。

 「成長」を考える時、人にはいろいろな成長がある。できなかったことができるようになる。これは腕前(技術)が上がった成長である。見えなかったものが見えてくる。これは観(もののとらえ方)が深まった成長である。そして、不自由だった自分を自由にできる。これは境涯(自分がいる次元)が高まった成長である。私もこの歳になると、2番目、3番目の成長を感じられることが特にうれしい。(村山昇)

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