それ以降、どんどん戦いは激しさを増し、手のつけられない状態になった。当局と麻薬組織などの抗争でこれまで8万人以上が死亡したと言われる。米政府も公然と、共同作戦などでメキシコ当局に協力してきた。だがそれでも、警察の汚職や麻薬組織間の抗争も絡んで暴力の連鎖が各地で続いた。要するに、麻薬犯罪に武力では太刀打ちできないことが明らかになったのだ。
2012年12月、ペニャ・ニエトが新大統領に就任して前任者よりもソフトな路線に方向転換した。ニエトは、治安部隊も編成するが、犯罪組織が巣食う地域に道路や公園を作るなどインフラ整備を施し、教育にも力を入れると発表。
ただ何をしても、メキシコの麻薬戦争から派生する犯罪は続く。各地で暴力が日常化し、その残虐さはとどまるところを知らない。麻薬と関係のない犯罪組織も絡み、まさに「犯罪の総合商社」という状況にある。不法な道路封鎖だけでなく、殺人、誘拐、拷問、強盗、窃盗も各地で頻発。また犯罪組織による治安当局への襲撃などで民間人も多くが巻き添えになっている。
メキシコでは麻薬抗争で見せしめの殺人として、首を切り落として警察署の前に並べるといった事件は多い。さらには処刑スタイルで後ろ手に縛られた血だらけの遺体が、ガソリンスタンドの天井や橋から何体もつり下げられるような事件や、バラバラにされた遺体がメッセージとともに放置される事件もたびたび報じられている。そして最近では、殺した相手の頭部の皮を丸ごとはぎ取り、見せしめとして皮と遺体を並べて街の真ん中に捨てておくという残忍な事件も広がっている。
著者が見た映像の中で最も残忍だったものは、敵対する組織に属する人間の家族の中年女性4人を上半身裸にしてカメラの前に並ばせ、13人の男が斧で次々と女性を生きたまま殺し、身体をバラバラにするというものだ。
そんな犯罪が日常的に行われるメキシコでは、犯罪に手を染めることに対する「罪悪感」が希薄になる者も少なくない。そして犯罪の残忍さを「底上げ」し、さらにひどい犯罪を生む状況が生まれているのだ。
治安が悪いメキシコ北部のチワワ州出身で、現在は米国に暮らすある知人男性は、「メキシコで特に貧しい地域で育つ子供なんかは、親が犯罪に巻き込まれたりして孤児になったりする。突然身寄りがなくなった子供が生きていくには、犯罪に手を染めるしかない」と言う。
「しかも教育こそが貧困から抜け出す方法だというキレイごとは通じない。親がいて教育を受けても、少ないチャンスで得られる仕事の給料じゃいい生活なんてできない。だから簡単にカネを稼げる麻薬犯罪や窃盗などで稼いだほうが、大学出て一流企業に入るよりもいい生活ができる、という話になる。そういう感覚を持つ人も少なくない。その問題を解決しない限り、メキシコの治安が良くなることはない」
ただメキシコも広い。31州すべてで上記のような残忍な事件が発生しているわけではもちろんない。麻薬戦争もすべての州で行われているのではない。例えば北部の国境に近い地域は非常に危険だが、カンクーンなど観光地や富裕層が多い大都市は、麻薬戦争が続くほかの地域に比べるとかなり安全だ。
それでもメキシコでの油断は命取りになる。チワワ州出身のこの男性も首都メキシコシティ郊外で怪しいクルマにずっと後を付けられた経験がある。「明らかにおかしな男たちが乗ったクルマだった。停車したら強盗されるか誘拐されるかと、生きた心地がしなかった。必死で車を走らせ続け、何とか逃げ切った」と言う。
メキシコの悪い治安は、改善する気配すらない。犯罪が犯罪を生む連鎖を止めるために、ニエト大統領の方針が、長い目で見て、状況を好転させることを願わずにはいられない。
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