日本社会の「モラル」は以前からだいたいこんなものだからだ。
「ささやき女将」がスターダムにのしあがった6年ほど前、偽装が山ほど発覚し、その時もみんな「氷山の一角だ」と口々に言った。そこから昭和にさかのぼってもコンスタンスに食品の偽装はある。
それは戦後の日本人がダメなのであって、戦前の日本ではありえなかったとか言う人がいらっしゃるがそんなことはない。
明治・大正に活躍したジャーナリスト・村井弦斎(むらい・げんさい)の『食道楽』には、つい最近報じられていることのようなことがバンバン載っている。例えば、外国産のようなインチキラベルを貼った瓶のなかに、安物の国産品を詰める。「バター」をうたいながら、植物油や豚の脂をまぜる……国の審査がザルなことをいいことに、かなりダイナミックな偽装がまん延していた。
いや、それも西洋文化に毒されたのであって、それ以前の日本人はそんな恥知らずなことはしねーよ、とおっしゃるかもしれないが、『好色一代男』で知られる井原西鶴も、煎茶に茶の煮殻を混ぜて売り出した悪徳商人を描いており、江戸中期から「食品偽装」があったことがうかがえる。
つまり、この手の犯罪は昨日今日に始まったことではなく、300年前、あるいはもっと前から日本社会のなかでわりと頻繁に行われてきたというわけだ。
そう考えると、ロブスターを「伊勢エビ」として提供するとか、搾りたてじゃないのに「フレッシュジュース」を名乗るというのは、分かりやすい伝統的インチキだが、騒ぎになっているもののなかには、そうとは言い難いものまで含まれていることに違和感を覚える。
Copyright © ITmedia, Inc. All Rights Reserved.
Special
PRアクセスランキング