これからの時代に必要なのは? ビームス創造研究所の青野賢一さんに聞く働くこと、生きること(前編)(2/3 ページ)

» 2013年12月05日 00時00分 公開
[印南敦史,Business Media 誠]

子どものころから「普通の勤め人には向いてない」と感じていた

 ただ、当然ながら最初からそういう立ち位置にいたわけではなく、スタートの時点で明確な目標があったわけではなかったのだとか。

「まあ、たまたまですよね。母親がファッションの仕事をやっていたので、当たり前のようにファッションには興味があったんです。それに80年代の日本のDCブランドブームとか、おもしろい時代に若い時期を過ごしたことも大きいですね。で、たまたま大学1年の夏休みにバイトを探したらBEAMSが募集していたので、面接してもらって入って……。それが1987年ですから、お店は都内なら渋谷と原宿だけ。地方もまだ数えるほどしかなかったし、こじんまりした感じでやっていました」

 そして以後もバイトを続け、その流れで正社員の道を選択した。

「たまたま1年のときの履修登録がうまい具合になって、週に3日半ぐらい時間が空いたので、その間はずっとバイトしていました。でも4年になると、進路を考えなきゃいけないじゃないですか。勉強が好きだったので大学院に行こうかとも考えていたんですけど、結局は行かずに残ったということです」

 80年代後期といえば、売り手市場だったバブル真っただ中の時代。いくらでも選択肢はあったはずだが、他の企業を受けることもなかったのだろうか?

 「全然考えていなかったですね。子どものときから『普通の勤め人になるっていう感じじゃないなあ』って漠然と思っていたし、すべてがタイミングなんです。だから就職活動はしませんでした。友だちは大手企業を受けていましたけど、僕はそういう連中を相手に、リクルート用のスーツを売っていたんですよ(笑)。『あいつはこのネクタイを買ったから、お前はこっちのほうがいい』とか。だから、僕の友達はかなりのパーセンテージでうちのスーツを着て就職活動をしていました」

BEAMSでバイトを続け、その流れで正社員の道を選択

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